伊藤計劃「ハーモニー」

生体情報のすべてが管理された社会でおこる事件と、巨大なパラダイムシフトの物語。
一読、問いとしては最高に面白い、しかしストーリー&オチはやや不満であった。

まず読んでいて気になったのがetmlで、この記法が気になって気になってなかなか読み進めなかったほどだ。たとえば

<list:items>
  <l:文章1>
  <l:文章2>
</list>

というような表記があるんだけど、これじゃ文章の部分が修飾できないよ!と出てくるたびにつっこみを入れてしまった。
またその使い方にも気になるところがあって、たとえば

<list:company>
  <c:セキュリティー・アーツ社>
  <c:ハードシールド社>
  <c:ユージーン&クルップス社>
  <c:エトセトラ、エトセトラ>
</list>

わーエトセトラは会社名じゃないから!セマンティックが!セマンティックが!自分落ち着け!とこんな調子で読書していたのでなかなか進まなかった。
そもそも、ほとんどの場合でインデントしてるのでxml系じゃなくyamlでもよかったんじゃね?そっちのほうがギーク受けしたんじゃね?などと妄想してしまったりした。

さて、本題に入ろう。まずこのハーモニーの世界がなぜディストピアなのか、そもそもディストピアなのか?という点だ。
問題点は大きく二つある。ひとつはWatchMeを入れることが事実上の義務であること、もうひとつは生府がその情報を独占的に支配しているといことだ。これにより人々は否応なく社会システムに組み込まれ、個人という以前に社会的リソースとしての生を歩まざるをえない。これを直感的に気持ち悪いと思う人は多いだろう。
だが同時にプライベートな情報を外部化することで、健康や安全が保証されている。これは現代社会においても、実は同じだ。個人情報を国家が管理し、労働対価である税金を強制的に支払わざるをえないことによって人権と安全を保証されている。いつの時代もプライベートな情報や個人のリソースを国家や組織に半強制的に売り渡すことによって、安全や利便性、あるいは共同体を守ってきたのだ。日本国土に住んでいる以上、国籍いらないから税金を払いたくないとかいう言い分が通じるはずもなく、その観点からすると本書の批判はやや幼稚に見えてしまう。
もちろんこれは程度の問題だ。しかし情報の外在化はもはや後戻りできる状況ではなく、ますます進むだろう。心のうちを言葉に外在化し、それを書物に記し始めたところから、まさに「人間は進歩すればするほど、死人に近づいてゆく」わけだ。それだけにハーモニーの世界というのはきわめて現実的だ。そのディストピア的状況をどうユートピア的に変えてゆくか、それこそがこれから訪れる社会設計の問題なのだ。だからこそ面白い。
先ほどあげた問題を改善するとするならば、情報を個々人がコントロールできるということ、そしてそれを預ける先をひとつの独占体ではなく分散させ、必要に応じて組み合わせることができるような社会構造を作る必要があるだろう。それを実現するためには開かれていてかつセキュリティが保証された公共コンピュータが必要で……などと妄想をはじめると止まらないのでこのへんにしておきたい。

またラストのほうで出てくる、いわゆる哲学的ゾンビの話はネタとしては面白いんだけど、ちょっと突っ込みが足りない感じ。そのため、なぜあのラストにすべきなのかという説得力がいまいち感じられなかった。そもそもこれ系のオチってみんな生物都市に見えてしまう問題ですよ。諸星大二郎の壁は厚い。
しかし酒の肴としては最高の食材で、これ一冊で色々なことを語ったり考えたりできるので、ぜひとも周りに勧めるなどして楽しく談義していただきたい。