マイケル・S. ガザニガ「脳のなかの倫理」

本書は二つの問題をテーマにしている。

ひとつは脳科学の発展によってもたらされる新技術の評価である。
スマートドラッグによる脳の強化、着床前診断など遺伝子による命の選別、人はいつから人なのか……という問題だ。これらの技術の発展はすさまじく、すでに普及しているものもある。臨床段階のものも数年後には一般的になると言われている。にもかかわらず法整備はまったく整っていない状態だ。
身体能力、記憶力、集中力を向上させるという薬が次々と作られている。しかもこれらはテストの成績を平均××点アップさせるというように、極めて具体的な効果をもたらす。仮に副作用がまったくなかったとしても、たとえば記憶が残り続けることが果たして良いことといえるのか、簡単にイエスとは答えられない。人々はつらいことや、とるにたらないことを忘れることで日々を快活に暮らしている。すべてが忘れられなくなってしまったら、おそろしく臆病な人間になってしまうだろう。その結果、大量の精神病患者を生み出してしまうかもしれない。
また、もしこれらが合法的に流通し、効果をあげるとすれば、格差社会はさらに広がることになることは間違いない。薬を買えない貧困層は、あらゆる能力に劣ってしまうことになるからだ。
これらの問題は、国や政府だけでなく、我々一人一人が考えなくてはならない。


もうひとつは従来の倫理に対して脳科学は応えることができるのか、という問題だ。
たとえば、夏の暑い日、コンビニでペットボトル入りのジュースを買うとする。レジでお金を払うとき、その脇に募金箱があったりするのを目にする。ここで喉の渇きを我慢すれば、一本のワクチンを恵まれない子供達に送ることができるだろう。その事実を知ったとしても、喉の渇きを癒したいという判断は鈍らない。
しかし恵まれない子供が目の前で行き倒れていたら状況は一変する。これがジュース一杯程度のお金で救えるとするならば、喉の渇きなんてすっとんでしまうだろう。
なぜこのような違いがあるのか? こういう倫理的行動を論理的に説明するのは難しい。
ガザニガはこれらを人間の脳があらかじめ具えている倫理観なのではないかと述べている。ネイティブな道徳問題(たとえば(人を殺してはならない」など)がほとんどの宗教で共通しているのも、そこに原因があるのかもしれない。


カイジの中で、兵藤会長が骨折で苦しんでいる人間を見て、「わしは痛くない ここが肝要」と至言を口にするが、実はこれは嘘である。人間は他人が苦しんでいるのを見れば苦しくなるし、喜んでいれば自分も嬉しくなる。これは科学的に実証されていることだ。
ある行動に対して、自分がやっても、他人がやっても活動するミラーニューロンというものがある。他人の心を読んだり、他人と共感したりする能力は、このニューロンが鍵になっているのではないかと言われている。上記の例もミラーニューロンが関係しているとすれば、納得がいく。

倫理観や人間の本性というものが、科学と密接に関わってくるというのは、これまでの近代科学にはあまり見られなかった。そういう意味でも脳科学というモノがどれだけ面白いかわかる。と同時に、人間の倫理観そものもの脳科学の進歩とともに考えていかないと危ない。
脳科学がもたらす輝かしき可能性と、差し迫った危機、その両面をあぶり出す良書である。

脳のなかの倫理―脳倫理学序説
マイケル・S. ガザニガ Michael S. Gazzaniga 梶山あゆみ
紀伊國屋書店 (2006/02)
ISBN:4314009993