野矢茂樹「心と他者」

ウィトゲンシュタインと、その訳者でもある大森荘蔵の哲学をきっかけに、それを再考・点検することで独自の哲学を模索するという内容。
もちろん哲学の本なんだけれども、(直接そう呼ばれないにしても)話題としては脳科学としてもホットな心脳問題や意識の問題、人工知能におけるフレーム問題などから他者の存在を探ってゆく。ただし10年前の本なので、いわゆる最近とみに進展しつつある科学的な成果は取り入られておらず、基本的には思考実験でもって考察を進めている。

骨子としてはウィトゲンシュタインが提唱したアスペクト盲や意味盲という概念を点検した結果、他者というものと衝突し対峙してゆくことが必要だという結論にいたり、そこがウィトゲンシュタインとは違うということのようだ。
ただ、これまでの野矢茂樹の著作と違って、読んでいて引っかかったのが論理展開のやり方である。例えば認知の問題であるアスペクトの把握を言葉の問題に変換したりするところを見ると、少し首をかしげたくなる。もちろんそれらは関連しているはずなので、妥当な変換かもしれないが、だからといって問題を考える上で簡単になったわけでもない。少なくとも今の哲学・科学の状況からしてみれば、認知の問題も言葉の問題も難しさは同程度であるだろう。
また有名なプラスとクワスの問題に対して、他者との関係性で我々は理解するのだというというモデルを挙げている。しかし、それは意識に付随するクオリアを説明できないし、そもそも我々に意識表象が存在するのか?という哲学的ゾンビの問題をまったく解決できない。
もしかするとこれは、ここ最近の科学の状況との差異があるためなのかもしれない。そのあたり野矢茂樹「他者の声 実在の声」 - モナドの方へを読んだ時のような、すっきり感は得られなかった。