小林泰三「忌憶」

「奇憶」「器憶」「垝憶」という微妙に重なり合う連作短編集。「奇憶」は前に読んだはずなんだけど、微妙に記憶が曖昧だったので再読した。

奇憶

どうしようもない主人公が、本当にどうしようもなくなってゆく、読んでいるこっちまで泣きそうになるストーリー。微妙にクトゥルフ神話量子力学がからんでくるあたりが、いかにも小林泰三的。
ただ最後のオチが、どうもあっけない気がする。だから記憶が曖昧だったのか。

器憶

TVに写っていた腹話術を見て、彼女に向かってあんなの簡単だよと大口を叩いてしまった手前、一週間で腹話術をマスターしなければならなくなった男の話。
短編なのに腹話術の説明が妙に丁寧なのがおかしい。
ホラー風味には書いてあるんだけど、ハッキリ言ってこれはギャグだろう。彼女が「腹話術でそんなメタなねたを出すことはないんじゃないの?」と真面目につっこむあたりは爆笑ものである。

垝憶

タイトルを書くのにとても苦労する最後の短編は、ある時点から一切の記憶ができなくなってしまった男を主人公にした前向性健忘症もの。早い話がメメントです。
記憶をノートに書き留めているため、ノートが妙に細かく綴られていて、ほとんどゲームブック状態になっている。それを読み解いてゆくという構図が興味深い。
通常、自分の本質は記憶に依存するわけで、それを失ってしまった主人公は自己同一性の問題に直面する。はたして自分は自分なのか、それともノートが自分なのか……
3作中この短編がベスト、できればもっと長く味わいたかったところだ。


小林泰三作品の特徴といえば登場人物が皆、異様なほど論理的なこと。ただし論理的=賢いとは限らないわけで、特に本作の主人公たちは論理的なのにもかかわらず、むしろ論理的であるがゆえに、どんどんと泥沼に陥ってゆく。
そのためストーリーだけでなく、主人公たちの思考プロセスを追ってゆくのも楽しい読み方だ。

余談

「垝憶」を頑張ってUnicodeで書いてみたけど、ちゃんと読めてるのかな?