グレゴリー・チャイティン「メタマス!」

これはすごい! 個人的には「ゲーデルエッシャー・バッハ」や「皇帝の新しい心」に匹敵するくらいの本だと思っている。ライプニッツ礼讃ということでひいき目に見ているところはあるにしても、本書で言及されていることは、最高にセンス・オブ・ワンダーだ。

数学、そしてデジタル哲学をテーマにしているんだけれども、冒頭からカフカの「掟の門」である。ここでまずガツンとやられる。それから、不完全性原理→プログラム停止問題→ディオファントス方程式→LISP→DNA……と展開してゆき、これらが抽象的には同型の問題であるということを明らかになってゆく。

本書でのコアとなってくる考え方がアルゴリズム情報量というものである。これは、ある数字列を生成する最短のプログラムを考えることで、その数字列の情報量を定義するというものだ。0.123だったら、簡単にはputs("0.123")みたいにベタで書いてしまう方法もある。でも0.111(以下1万個続く)だったら、for文を使って書いたほうが圧倒的に短くなるだろう。
小数点以下無限に続く数字も圧縮できるものはある。有理数は分数にすればよいし、円周率も3.14以下無限に繰り替えしなく続けど、規則性がないわけではない。それを生成するプログラムなら数百行程度で書くことができるからだ。このように超越数のような数も有限な情報量に圧縮できるものはある。
そうして圧縮したプログラムを、その数字列の情報量と定義するわけだ。そしてこれ以上圧縮できない状態をランダムと呼ぶ。

ただし小数点以下が規則性なく続くような数は、その数字列そのものを出力するよりほかはない。つまりプログラムも無限大になり、情報量も無限大となる。驚くべきことに、ほとんどすべての数がそういった情報量無限大の数である。

そしてこのアルゴリズム情報量の源泉をライプニッツとするところが面白い。数学的な意味でも哲学的な意味でも本書は、最初から最後までライプニッツ礼讃なのである。これをid:leibnizが読まなかったら嘘だ。

次にチャイティンは数学の定理をプログラム化し、それの停止確率をすべて含むようなΩという数を定義する。簡単に説明するのは難しいのだが、ポイントはΩが定数であるということだ。しかし、定数であるにもかかわらず、この値を求めることはできない。Ωはランダムでありショートカットして求めることができない数なのだ。
そこにゲーデル不完全性定理、そしてチューリングの停止問題の本質がある。

チャイティンのすごいところは、こういった偉大な成果を残していることだけではない。更に哲学的に思考の幅を広げてゆく。たとえば宇宙はランダムなのか?美とは何なのか?などだ。

こうして本書では人間知性のひとつの結論に達するのである。曰く――

理解とは圧縮である

余談1

引用としてはカフカの他にもボルヘスパラケルススの薔薇」なんかが使われていて、にやりとさせられる。

余談2

無理数は英語でsurdだが、これはフランス語の聾唖者を意味するsourd-muetから来ているとのこと。