マーシャル・マクルーハン他「マクルーハン理論」

「メディアはマッサージだ!」でおなじみ、TVの伝道師、メディア論の鼻祖、マクルーハンの論文と、それに共感する数人による論考集。
この本は1967年に「マクルーハン入門」というタイトルで出版された古い本であるが、21世紀を迎え「電子メディアの可能性」というサブタイトルをひっさげて帰ってきた。

文字がなかったころ、しゃべり言葉による音声が思考のベースだった。文字が登場したあとも、それはごく一部の人間達による秘術的な記録法でしかなったが、そこにグーテンベルグ活版印刷術が登場、情報は急速に言語化され爆発的に増殖する。
それから数世紀、識字率の向上と共に文字は完全に定着し、文字こそが真の言語となり思考のベースとなっていった。しかし20世紀になってTVが登場することにより、急速に音声文化への揺り戻しが起こる。
つまり音声文化→活版印刷の登場による文字文化→TVの登場による新しい音声文化、というのが本書に通底する主張だ。本書は特に動画メディアの分析が多いので、声の文化から文字の文化への移行とその影響に関しては、オングの名著「声の文化と文字の文字」を参照すると良いだろう。

本書は、いまだ研究の余地がある魅力的なテーマに満ちた楽しい本である。たとえば教育において、TV、ラジオ、生の授業、テキストだけ、での教育効果を比較したところ、実はラジオがもっとも効率がよく、次にTV、生の授業、テキストの順であったということが例証されたりする。そんなグーテンベルグ以降(そして今も続いている)の文字を崇拝するような文化に対して喧嘩を売るような論証、論考が満載で、非常に楽しい。全体に扇情的なマクルーハンの理論は面白く、同時にウォーフ・サピア仮説にも乗っかってしまいそうになるが、このあたりは冷静になって判断する必要があるだろう。検証が確かではない、過度な理論への傾倒は危ない。
また禅の研究で知られる鈴木大拙による、日本人ならば読んでおきたい論説も見逃せない。

さて、本書のサブタイトルは「電子メディアの可能性」である。確かに本書は古いながらも、ネット上のデジタルなメディアの可能性を予感させるような示唆に溢れている。まさに現代はマクルーハンが活躍したTV時代から、ネットの時代へと急速に移行しつつある。音声文化に依拠する動画サイトも活発であるが、それよりも圧倒的に文字の情報量は増えた。特にブログ、RSSにより膨大な情報をどんどん取り込むという方向性は、より増加傾向にある。
つまりグーテンベルグ時代から一周した、新たな文字文化の時代が到来しつつあるのだ。この時代において、マクルーハンが生きていたらと想像するのは非常に面白いし、重要なことだろう。

いずれにしても、ネットとブロードバンドによってメディアはカンブリア紀に突入した。意味不明なサービスやあっと驚くサービスが次々と登場しているし、その増殖はとどまる気配すらない。それらが淘汰され、安定したメディア状況になるまで俯瞰するのも一興だが、こんな奇異な時代は、この先、二度と訪れないに違いない。
だからこそ、このメディア・カンブリア紀を存分に楽しむべきだ。行く先のわからぬ未開の地を、道案内の火を灯したマクルーハンと共に進もうではないか。

マクルーハン理論―電子メディアの可能性 (平凡社ライブラリー)
マーシャル・マクルーハン エドマンド・カーペンター Marshall McLuhan Edmund Carpenter 大前 正臣 後藤 和彦
平凡社 (2003/03)
ISBN:4582764614

これも名著中の名著。世界観が変わる面白さ。

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