笙野頼子「レストレス・ドリーム」

終わりなき夢の中でゾンビと闘い続ける壮絶なゲームを繰り返す。殺戮の街スプラッタシティ、武器は言葉だ。

駕籠真太郎の駅前シリーズを彷彿とさせる世界観で、それをグロテスクな絵ではなくグロテスクな文体表現で描いている。スプラッタシティのゾンビ達はまったく非現実的かというとそうではなく、実は現代社会を極めて歪なカタチで表象したキャラクタとして現れる。この辺も駕籠真太郎っぽい。(時代的には逆だけど)

気になったのはフェミニズム的な部分。まあ男とか女とかそういう話。
読み進めるたびに、わざわざ、そこまで書かなくてもいいんじゃないの?といういらぬ心配をしてしまう。
むしろメインは言語というテーマを扱っているのだから、フェミニズムに触れるにしても、もっとクールに流したほうがスッキリしたんじゃないだろうか。

でも言語ゲームで闘ったり、言葉の組み合わせで攻撃したり、とアイデアは盛りだくさん。それを支えている文体もしっかりしていて、異様なことを記している割には慣れてくると読みやすい。それに、こういう小説もあるんだということを認識しておくことは重要だろう。

ただ10年以上前に書かれた作品なので、ここでのゲームというのが基本的にファミコンベース。「電源をつけたまま引っこ抜いたゲームソフトのような」というファミカセ表現とか、今の若者には通じません!
今だったらバリバリ3DのDOOMっぽく書かれていたのだろうかと想像してしまった。

余談

上の文章を書いてから気づいたが、普通そこはDOOMじゃなくて、バイオハザードだろ。