老舎「駱駝祥子」

みなさま、ごきげんよう
さて、本日ご紹介しますのは、中国近代小説、その不朽の名作と言われているのが駱駝祥子(ロートシアンツ)です。20世紀初頭の中国を舞台とした庶民を活写した人間喜劇ならぬ人間悲劇の物語。各国語に翻訳され、グローバルに愛されている作品だそうです。


主人公は夢抱く若者、祥子さま。念のため申し上げておきますが、サチコでもショウコでもありません、シアンツです。
そんな祥子さまは、長身で筋骨隆々、髪は剃りあげて弁髪にしている、体だけが取り柄の純朴な青年です。農村生まれの庶民なので名字はありません。
若くして両親を亡くしてしまったので、一旗あげてやるぞとばかりに北平(今の北京)へ身一つでやってまいりました。そこで丈夫な体を活かして、人力車の車引きを始めます。といっても車は高い、なので借り受けた車で仕事を始めます。もちろんレンタル料を支払わなくてはならないので、お客がつかなければ、まるまる損をしてしまう、という過酷な商売です。そこで理想に燃える祥子さまはバリバリ働いて自前の車を買うことを決意したのでした。
それから3年間。働き詰めてついに目標金額に到達できました。3年まったのだとばかりに車を買いに出かけます。上手い具合に出物を発見し、なんとか新車を手に入れることができました。しかもその日は祥子さまの誕生日、この二重の誕生日に喜びもひとしおです。
自分の車を手に入れた祥子さまは絶好調、有頂天なので、ちょっと危険な仕事でもガンガン引き受けるようになりました。そのころ各地で戦がおき、戦火に飛び込んでゆくような仕事は当然高給なのですが、命知らずの祥子さまは出たとこ勝負とばかりに、つっこんでゆきます。しかし、祥子さまの運もここまででした。まんまと兵隊に捕まってしまい、苦労して手に入れた車も押収されてしまいます。
その後、なんとか目を盗んで、同じく押収物であろう駱駝をかすめ取り、命からがら逃げ出すことに成功します。逃げ出せたとはいえ、裸一貫の無一文。先立つものがありません。偶然知り合った老人に、しかたなく言い値で駱駝を売ってしまいます。その後、あまりの疲労で倒れ込むのですが、駱駝を安値で売ってしまったのがよほどくやしかったのか、うわごとのように駱駝とつぶやいてしまったようで、起きたらあだ名が駱駝祥子になってました。ただこの駱駝祥子というあだ名、最後の最後になるまで、全然登場しません。タイトルなのに。

そんなこんなでようやく都へ戻ってきた祥子さま。人和車廠という車宿に住み込みで働き始めます。ここのトップは劉というヤクザ上がりの親分。一緒に切り盛りしているのが娘の虎女丑(女偏に丑:以下、フーニウ)なんですが、これがまた父親似にて、男勝りの姐御肌なわけです。ただ容姿に難があって、三十路半ばも過ぎているのに貰い手がありません。
祥子さまはというと、こつこつ働くうちに、あるお屋敷のお抱え運転手になるのですが、ちょっとしたことでぶち切れて飛び出しちゃいます。祥子さま、このあたりからやたらと切れやすくなってます。
人和に駆け戻ってきた祥子さま、待ちかまえていたのは誰あろうフーニウでした。実は前々から祥子さまに想いをよせていたフーニウは、しっかりしなよと叱咤しながらも優しく抱き留めてくださいます。自暴自棄になっていた祥子さまは、流されるままフーニウと一夜を共にしてしまったのでした……
でも祥子さまはフーニウの初めて人ではなかったんですね。ああ、やっぱりフーニウは汚れた女だったんだ……というか、やることやっておきながらショック受けすぎですよ祥子さま。

それから祥子さまはフーニウから逃げるようにして、曹先生のお抱え運転手になります。曹先生の家の人たちはみなとても優しく、祥子が暴走して事故っても叱ったりせず受け入れてくれます。せちがない世の中だというのに、こんな気の良い人たちがいたんだと、祥子さまは感激。そんな中、急接近してきたのは女中の高媽(カオマ)です。やっぱりお姉さまキャラ。そんな高媽にファイナンスの手ほどきを受け、再び自分の車を買うぞと決意。今は守銭奴のように金!とばかりに小さな瓶に貯金を始めます。でも祥子さま、それ尿瓶ですから!
順風が吹き始め、高媽とも良い感じになってきた、ある日、曹家の門を叩く者がいました。なんとフーニウが乗り込んできたのです。そして一言「私のお腹の中にはあなたの子が!」もう完璧に昼ドラの展開です。

できちゃったとあっては、さすがに観念するしかありません。
とはいえフーニウは曲がりなりにも社長令嬢、農村出身の祥子さまとは身分が違いすぎて、普通なら結婚なんかできっこありません。駆け落ちしてでも結婚する!と鼻息も荒いフーニウ、劉親方の誕生パーティーにご機嫌をとってから取り合えば上手くいくと考えます。そこで祥子さまにお金をわたし、これで何かプレゼントを買ってきなさいと助言します。
フーニウたん、容姿と年齢を除けば、お嬢様、お姉様、ツンデレ、と三拍子揃ってる萌えっ娘なんですけどね。そういう魅力にはとんと気づかない祥子さまは、どうすればよいのやらと頭を悩まします。劉親方の誕生日が近づくほどにどんどんと憂鬱に。

刻々とXデーが近づく中、いつものように曹先生を載せた車を引いていたところ、尾行されていることに気づきます。とりあえず曹先生は友人宅に避難し、祥子さまは曹家の人たちに注意を促すため一人こっそりともどるのですが、そこで待ちかまえていたのは刑事でした。しかも以前に新車を押収した因縁の刑事です。彼から聞くところによると、曹先生はアカだったのです。見つかれば銃殺です。この辺から政治色が出始めてきて、当時の中国の状況がわかりますね。
ただこの刑事、酷い男で、ろくに財産もない祥子さまに対し、見逃してやるから全財産を差し出せと要求します。断れば罪をでっち上げて現行犯逮捕するぞと脅してくるものですから、首を縦に振るしかありません。貯金していた尿瓶も粉砕されてすべて持ち去られてしまいます。残ったのは布団一枚、ああ可哀想な祥子さま。

結局、裸一貫で劉親方の誕生パーティーに望むことになってしまいました。
フーニウに状況を話すと、せめて身なりを整えてと幾ばくかのお金を握らせてくれます。やっぱ良い娘ですよフーニウたんは。
しかし二人の蜜月はうすうす人和の車夫たちにも知れるところとなり、その結果、劉親方にも勘づかれてしまいます。劉親方的には、俺が苦労して育ててきた娘と創り上げた財産とを、こんな祥子のような奴に奪われてたまるかと怒り心頭なわけです。ごもっとも。
結局、劉親方VSフーニウの壮絶な親娘バトルは決着が付かず、祥子さまとフーニウは駆け落ち同然で飛び出したのでした。

なにげにお金を蓄えていたフーニウのおかげで、愛の巣も手に入れることができました。フーニウは、あんたは車なんか引かないで、これからは頭で稼ぎなさいと、もの凄く的確なアドバイスをします。二人で一緒に商売でもやれば一緒にいられるのにね、とツンデレっぷりをアピール。一方、祥子さまは体を動かしてないと落ち着かないタイプなので、やっぱり車引きを始めてしまいます。
車を引いているうちに、やっぱ劉親方に一言わびをいれておかないと、と決心した祥子さまは人和へと向かいますが、そこには見慣れない文字が、「人」が「仁」に変わっています。なんと人和車廠はM&Aされて仁和車廠になっていたのでした。生涯現役をうたっていた劉親方も、跡継ぎがいなくては仕方ないと、売り払って大金を手に入れ、引退してしまったようなのです。今はどこで何をしているのやら……

どんなに釘を刺しても車を引いてしまう祥子さまに、とうとうフーニウもさじを投げます。毎日帰ってくるなら車引きをやってもいいよ、新車を買うためのお金もいくらか補助してあげるよ。ホント良い娘です。

そんな折、長屋に住んでいる二強子(アルチアンツ)という男が車を売ろうとしているという噂を耳にします。この男、十九になる娘の小福子(シャオフーツ)を軍人に売り飛ばし、それを元手に商売を始めたものの大失敗。次に車引きで生計を立てようとするも、これも上手くいかない。
しかも小福子の嫁ぎ先の軍人がまた酷い男で、2年も経たないうちに小福子を使い捨ててしまいます。しかたなく実家へ戻ってきた小福子。父親の二強子も破綻しているし、しかも二人の弟もいるのです。これはもう売れるものはなんでも売らなきゃだめという状態。

祥子さまは、こんな因縁つきの車を買うのは嫌がるのですが、なにぶん安いので結局、買ってしまいます。
一方、小福子はついに体を売らなければならなくなって、でも客をとる家を借りる金すらない状況。同情したフーニウは小福子に余っている部屋を格安で貸すことにしました。このへん、なんともやりきれない。かなり涙腺にきます。
最初こそフーニウと小福子はうまくやっているのですが、独占欲の強いフーニウたん、小福子が祥子さまにちょっと優しくしたのをキッカケに、いやがらせを始め、ついには家から追い出してしまうことに。哀れ小福子は淫売窟に身をやつすことになってしまいます。

そんなフーニウもいよいよ産気づいて参りました。しかし当時の庶民の出産事情は過酷です。フーニウも出産間近にして病の床にふしてしまいました。祥子さまはなけなしのお金をはたいて、医者やら、お払いやら、あらゆる手を尽くすのですが、そのかいもなく、フーニウはお腹の子と共に死んでしまいます。

その後、小福子と再婚の気配が漂ってくるのですが、祥子さまのやさぐれっぷりは頂点に達していました。なにせ救えなかったフーニウのために、すべて散財してしまっているのですから。
淫売窟から小福子を身請けする金を貯めるのもバカらしい。少しでも金があったら嗜好品に消えます。
昔のツテを回って借金してトンズラ、あらゆることをして金策を練ります。でもそれは未来のための金ではありません。政治運動に参加したりもするのですが、それもその日暮らしの金のため……最後には仲間すら金で売ってしまうのです。

……そして、まるで登場しなかった駱駝祥子というあだ名が最後の最後になって生きてきます。この祥子さまの悲劇、なんと申し上げたらよいのでしょう。言葉になりません。
おそらく中国で駱駝というのは、なにかの隠喩で用いられているようなのですが、中国文化に明るくないためニュアンスがいまいちつかみきれないのが残念です。

いやあ正直、半分ネタで書いていたんですが、さすがに後半は辛かった。
それでは、またどこかでお目にかかりましょう、ごきげんよう

ちょっと真面目に

最期の方はもうやりきれないくらい酷くなってくる。
がんばっても裏目、救いたくても救えない人々、やるせない現実。老舎は個人主義が悪いんだと結論づけようとしているが、そういった思想背景は別として、この容赦のなさが、すなわち人生というものなのかもしれない。

追記

アップしてから松岡正剛が千夜千冊で書評してることに気づきました。
まともな人はこっち読んでね。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0973.html