「ユビキタス・メディア: アジアからのパラダイム創成」基調講演

生スタフォードを見たくて、id:ikuyaさんを誘って「ユビキタス・メディア: アジアからのパラダイム創成」(UMAT)の基調講演を聞きに行ってきた。会場入りしたら、周りの人たちがみんな賢そうな人ばかりで参ってしまった。キットラーはカッコイイしさ。

とまあ、かなり場違いな感じだったんだけど、頑張って聞いてきましたよ。
講演は同時通訳のヘッドフォンを通じてのもの。講演とはいえ内容はかなり難解で、翻訳する方も大変だったようだ。多少下地はあったので少しは理解できたつもりだけど、自身がないので内容は信用しないように。

ベルナール・スティグレール「目的論 カタツムリについて」

どこでもいつでもネットで繋がっちゃう世界における存在−目的論という内容。
ユビキタス・アクセスの時代では、すべてが簡単に繋がってしまう。そこに立ち現れるのはやはり自分自身の鏡像であって、どんどんと自己愛に陥ってゆく(2chとかは究極の自己愛の形なのかも)。そのように殻の中に閉じこもってゆくにしても、永久に殻の中心にはたどりつかないカタツムリのようになってしまうだろう。
というような話をフッサール現象学フロイトラカンデリダあたりを絡めて語っていた。スティグレールの著書を読んだことがないので、正確に理解できているか不安であるが……

途中でweb2.0とか、その手の単語が色々でてきたが、この筋の人に言われちゃうと、ちょっと冷める。テクノジーをアナロジーで語るときには注意が必要だ。

最後にスタフォードの話を聞いた後、過去把持(retention)と未来予持(protention)の間に注意(attention)を置いてみるとどうよ? みたいな話でまとめていた。

バーバラ・マリア・スタフォード「われわれのものでない思考:失調した認知システムと切断」

内容的には最新作「Echo objects」の要約のようなものらしい。
大量のスライドを交えながら、言葉よりもヴィジュアルで語るというスタイルは、まさにスタフォードの著書に見られるスタンス通り。見て分かる(I see!)ってのが大事というわけ。

内容は、神経系美学において科学が果たしてきた役割と、科学では補えきれない部分について論じるというもの。
エミール・ゼキやラマチャンドランなどは認知において面白い成果をあげている。それ自体は、とても評価したいんだけど、それってオートポイエティックな部分だけだよね。
人間には無意識的に演繹されてしまうオートポイエティックな部分が90%ぐらいで、教育可能な部分は残りの10%しかない。
クリックやコッホみたいにNeural correlateとか還元主義的なことをやってもオートポイエティックなことしかわかんない。そんな研究ばかりしてるだけじゃダメで、iPhoneもそういうところが分かってない。
人文科学的に大事なのは、残り10%のオートポイエティックでない教育可能な部分をどうやってコントロールするかである。そこのところをわかってるのは、むしろ現代アーティストのほうなんだよ!
だからヴィジュアルイメージを通じて、そういう部分も研究して行けたらいいねという話だった。

これは確かにスタフォードが言うとおりだと思う、そういう人文科学的研究成果を早く見てみたいものだ。

余談1

その後、メディアアート展示の方を見ていたら、スタフォード(たぶん夫妻)が入ってきた。
ああ「ボディ・クリティシズム」を持っていけばサインしてもらえたのに……と大後悔したけれども、台風の中で、持ってゆく勇気も体力もなかったのでした。

余談2

洋書販売コーナーで未訳のスタフォードの本も置いてあり、パラパラ見ていたら「Devices of Wonder」がすこぶる面白そうだった。高山センセー翻訳してください!

Devices of Wonder: From the World in a Box to Images on a Screen
Barbara Maria Stafford Frances Terpak Isotta Poggi J. Paul Getty Museum
Getty Center for Education in (2002/02/28)
ISBN:0892365900