道尾秀介「シャドウ」

作風としては道尾秀介「向日葵の咲かない夏」 - モナドの方へに近い。
子供を主人公にした無垢な視点の物語に、邪悪な気配が忍び寄ってくる奇妙な構成だ。
そもそも起きていることが、ただの不幸なのか、それとも誰かが作為的に起こしている事件なのかがハッキリしないため、ミステリといっても何が謎なのかがよくわからない。それでも物語がえもいわれぬ異形となってゆくさまに、引き込まれずにはいられない。

笹井一個による空恐ろしい表紙も、シャドウという言葉の響きも、読み進める上で読者に邪悪な妄想を広げさせるに一役買っている。あれこれどす黒い妄想を思い浮かべながら、奇妙な出来事を穴埋めしてくのも本書を読む楽しみのひとつだろう。

「骸の爪」でもそうだったが、伏線の張り方と回収のやりかたが興味深い。ものすごく重要そうに張られている伏線がそれほど大したことなかったり、逆にまったく関係なさそうなエピソードが手がかりになっていたりする。どうやらストーリーテリングにおいて、絶妙な感覚を持っているようだ。

本作は「向日葵の咲かない夏」と同様、社会を幻想的に捉えてしまう子供を主体とした物語であって、「骸の爪」のようないわゆるミステリの常套ともとれるようなスタイルとは大きく異なっている。このふたつの両極端な作風を持つのが道尾秀介の魅力だと思うが、個人的には本作のようなスタイルの方が好みだ。また、本作のような作風の方が競合も少ないと思われるので、次回作もこの路線で期待したい。

余談

本編とは直接関係ないのだが、1位になることが必ずしもよいことではないことを説明している下りが気に入った。子供に尋ねられたときは、これを使いましょう。

余談2

あと餘談なんですけど、主要人物の名字が「我茂」(ガモ)っていうのはやはり確信犯でしょうかねえ。ガモという撥音からガモウ、蒲生を連想してしまうような方こそ、本作の後半で炸裂する大仕掛けに驚いてしまうのでは、なんて思うのですけど如何。

http://blog.taipeimonochrome.ddo.jp/wp/markyu/index.php?p=827

自分もまったく同じことを思った。ついでにもう一人の主要人物の名字である水城(みずしろ)を水城(みずき)と読むと殊能センセーのアレなので、きっとアレに違いないと思って読んでしまった。結果それほどアレじゃなかったけど。