港千尋「記憶―「創造」と「想起」の力」

驚くべき本だ。
エミール・ゼキやエーデルマンが出てきたかと思いきや、フランセス・イエイツやマリオ・プラーツまでもが登場しちゃうのだ。神経ダーウィニズムと世界劇場。キタコレ。

というわけで「記憶? 最近流行の脳を鍛えるような話かな」なんて思って読むと200%返り討ちにあう。なにげにハードルの高い本があったりする選書メチエ、恐るべしだ。
なので、ある程度、基礎知識がないと結構辛いだろう。私も写真論あたりはサッパリなので、ついて行くのが大変だった。

序章で「記憶とは終わりなき構築」と標榜するとおり、インターディシプリンを貫いた内容が、めくるめくバベルの塔のように展開される。とりあげられるテーマをずらずらと書くと、

第一章は現代における記憶と古代における記憶:神経ダーウィニズム、デ・クーニング、記憶術と世界劇場
第二章は記憶と芸術:ジャコメッティ、シャルル・マットン、ビル・ヴィオラ
第三章は記憶と写真術:チャールズ・ロス、タルボット、パブロ・ネルーダ
第四章は歴史と記憶:国家と歴史、ボルタンスキー、ベンヤミンベルグソン

脳科学、芸術論、写真論、社会学ともう頭クラクラである。まともにとりくめば、一章で一冊は必要という内容ばかりだ。
第四章では国家の記憶=歴史を扱っていて、読んでいて「想像の共同体」や歴史修正主義の問題などを連想させられた。

記憶とは時間を空間にマッピングすることだとするなら、一般化された記憶は個体の記憶を飛び越えて、人類の知のメカニズムに深く関わってくることは明らかだ。
たとえばプログラムとはアルゴリズム+データ構造と言われる。科学、哲学、数学……我々が学校で習うような思考術はすべてアルゴリズムに相当するとするなら、記憶というテーマは残り半分のデータ構造をすべてフォローしなくちゃならない。

古来より存在した記憶術はフランセス・イエイツが再発見するまで、完全に忘れ去られていたものだった。そういう意味では、まだ記憶という得体の知れないもののがようやくわかり始めたという程度のレベルでしかない。そこには広大な未知の領域が広がっていて、しかもその未開の地はあらゆる学問領域と繋がっているのだ。

この本は結論を出すタイプの本ではない。何かと何かが繋がることで新しい創造の地平が拓かれるというタイプの本だ。なのでテーマの中に二つ以上興味がある項目が会った人は、読んでおいた方が良い。

脳科学から芸術論、神経ダーウィニズムから世界劇場まで、いまやバラバラに分かたれてしまった人類の知恵をつなぎ合わせる時が来た。新しい記憶劇場としてのコンピュータとインターネットを原動力に、知の総力戦が始まろうとしている。その鬨の声を聞くことができるこういう本は、読んでいてワクワクする。

エピローグが言語の問題で締めくくられているのも味わい深い。
また註を読むことも忘れないように。

芸術と文学の関係に記憶の構造を読み解く

ムネモシュネ―文学と視覚芸術との間の平行現象
マリオ・プラーツ Mario Praz 高山宏
ありな書房 (1999/11)

古代に発祥し、ルネサンス魔術として隆盛した記憶術

記憶術
記憶術
posted with amazlet on 06.03.23
フランセス・A・イエイツ Frances A. Yates 青木信義 篠崎実 玉泉八州男 井出新 野崎睦美
水声社 (1993/06)

余談

第四章の注にフランス語に見る「記憶」という言葉の変遷が書かれている。
それによると memorial は財務記録を意味していたとのこと。全然トキメキません。