山口昌男「歴史・祝祭・神話」
旅行のお供にした本。
旅行の前日はどの本を持って行くかで非常に悩む。30分ほど考えた結果、そろそろ道化論に手を出そうと思い、買ってあったもののホコリを被っていた山口昌男の本をぞろぞろと取りだした。
両義的な祝祭性を普遍的な相として歴史を振り返るという趣向の本。第一部は古代から近代までの歴史における祝祭性・神話性を概観し、第二部はスターリンとトロツキーを中心に革命と祝祭との類似を検討するという内容である。
第一部を読んで改めて認識したのは、ケネス・バークの偉大さである。ヒトラーとユダヤ人を俎上に載せた「犠牲の論理」の章で、バークの論文が紹介され、政府の七つの機能が挙げられている。
(1)支配 (2)サーヴィス (3)防護 (4)知識の伝達 (5)見世物の提供 (6)(精神的)治療 (7)ポンティフィケート(法皇職のごとき最高の位置の保持)
(5)以降は象徴論的機能であり、政治学プロパーの人からはなかなか出てこない発想であろう。やっぱバークはすげーや。難解だけど。
山口昌男は近代政治学が(5)以降をうまく取り込めておらず、ややもすると、この象徴的機能の重要さを本能的に嗅ぎ付けたヒトラーとスターリンの後塵を拝していることを懸念している。
第二部となると、マルクス・レーニン主義周辺にあまり詳しくないので、正直理解できたとは言い難い。ただ、トロツキーを聖ゲオルギウスであり、同時にスターリンによって屠られるドラゴンでもあると分析することで、第一部と繋げてみせた手腕は見事だと思った。
余談
山口昌男といえば、即座に思い出されるのが東大入学のエピソードである。
確か「学校という舞台」で書かれていたと思ったのだが、東大入試の前夜、山口昌男は勉強もせず、サミュエル・バトラーによるユートピア小説「エレホン」を読んでいた。そんな微妙になげやりな態度で入試に望んだところ、英語の長文読解で丁度読んだ部分が!
エレホンキタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!
というわけで、他の教科はいまいちだったものの、英語で驚異的な得点をたたき出したため、めでたく赤門をくぐることができたそうである。
とまあエレホンがなければ、山口昌男の数々の偉業も、もしかしたらなかったのかもしれないなんて考えると、なんとも感慨深いですなあ。