続けなくちゃいけない、言葉があるかぎりは(サミュエル・ベケット)

同じ言葉を何回も繰り返し呟いていると、だんだん訳が分からなくなってくる。
サミュエル・ベケットの小説を読んでいると、まるで同じ現象が脳の中で起こるようだ。
ベケットの文章は、短く、平易だ。スコープを絞っている限りは、とても読みやすい。だが一度、視野を広げると途端に意味が逃げていってしまう。
ベケットは決して難解じゃない、奇をてらった表現もないし、ナンセンスで笑える。同じ文章が三回連続で出てきたり、ちょっと前の文章をいきなり覆したりする。

私は家へはいって、書いた、真夜中だ。雨が窓ガラスを打っている。真夜中ではなかった。雨は降っていなかった。
――サミュエル・ベケット「モロイ」

なんだこりゃ、なんなんだ! こんなものを理解する必要があるのか? いや、理解する必要なんかないんじゃないだろうか?

小説にもロジェ・カイヨワの遊びの分類法が使えるとしたなら*1ベケットの小説はイリンクス(眩暈)だろう。(ついでに言えばほとんどの小説はミミクリ(模擬)である)
めくるめく現代音楽のようなミニマリズムの世界。だが不思議と力強い。

続けなくちゃいけない、続けることはできない、続けなくちゃいけない、続けよう、言葉をいわなくちゃいけない、言葉があるかぎりは。
――サミュエル・ベケット「名づけえぬもの」

なぜ、ベケットがこのようなものを書いたのか、書かねばならなかったのか、様々な要因が考えられるだろう。アイルランドで生まれたこと、英語とフランス語を両方使うこと、ジョイスの秘書であったこと。研究書も数多くある。
ただ間違いなく言えるのは、伝統的な19世紀的小説に「待った」を突き付けたということだ。

逸脱することでしか伝えれない何か、それを言い続けなきゃならなかった。


1969年にノーベル文学賞を受賞したとき、周囲の人々はひっくり返ったそうである。そりゃそうだ。

名づけえぬもの
名づけえぬもの
posted with amazlet at 05.07.01
サミュエル ベケット Samuel Beckett 安藤 元雄
白水社 (1995/08)
ISBN:4560043485

モロイ
モロイ
posted with amazlet at 05.07.01
サミュエル ベケット Samuel Beckett 安堂 信也
白水社 (1992/11)
ISBN:4560043035

ベケット本当に面白いと思う。いや、ホント、ほとんど意味わからないけど。

*1:ロジェ・カイヨワは「遊びと人間」において、遊戯を四つに分類した。競争:アゴン 偶然:アレア 模擬:ミミクリ 眩暈:イリンクス