四方田犬彦「先生とわたし」

四方田犬彦と、東大での師匠である由良君美との関係を描いた伝記的論評。
由良君美と言ってもピンとこない人もいるかもしれないが、デコンストラクション脱構築という訳語を当てた人物と聞けば、足を向けて寝られない人も大勢いるはずだ。その門下生も四方田犬彦をはじめとして、高山宏富山太佳夫など精鋭揃いである。
また由良自身の著作としては、「椿説泰西浪曼派文学談義」「メタフィクション脱構築」など、今読んでも面白い本ばかりだ。ただし入手困難のものが多い。

由良君美ははじめ、貴族的なたたずまいでセンスの良い新進気鋭の英文学者として登場する。その振る舞い、人格、そして驚異的な博識、まるで学者の理想像として描かれており、学生の視点から見ても憧れの的であった。ゼミの選抜試験も突飛で、なんと赤塚不二夫の漫画の何が面白いのかを分析せよというものだったりする。また下ネタに弱いという可愛らしい一面を見せたりするのだが、これが後々の伏線にもなっている。

四方田犬彦もその魅力に心酔してゆくのだが、ソウル大学から戻ってきたあたりから次第に関係がギクシャクとしはじめ、最終的には完全に崩壊してしまう。結局、和解しないまま由良君美は他界してしまい、連絡の行き違いで告別式にも出席することができなかった四方田犬彦にとって、本書は和解の書ともなっているわけだ。

本書の魅力は、その軋みながら破綻してゆくもの悲しさと共に奏でられる名著の響きにある。基調低音として響いてくる書物達のシンフォニーは由良君美の博覧強記さそのものだ。こうして語られた書物に再び思いを馳せることによって、真に和解できたのではあるまいか? 身勝手ながら、そう感じた。

また端から見ると些細にも見える、しかし当人達にとっては重要な学説やスタンスの違いから、対立する骨太な文学者像を堪能することもできる。アカデミズムの揺籠で安穏とすることなく、新しい意見を取り入れ戦い続ける学者魂というものに大いに感銘を受けた。
このように、いわば人文学の精髄を垣間見ることができるということは、本書がただの個人の物語ではなく、大きな知的世界へと繋がっているという証明なのである。

余談1

高山宏もバリバリ登場するうえに、カッコイイ役柄で良いところを持ってゆく。流石、呪われた男はひと味違うぜ。
また由良君美から「もしぼくが織田信長だとしたら、きみはさしずめ森蘭丸だな」などとねぎらいの言葉をかけられたりしている。文化系腐女子も読むべきだ。

余談2

そういえば富山太佳夫の名前が出てこなかったような……

余談3

ところでジョージ・スタイナー「バベルの後に」の翻訳ってどうなってんだろう……
上巻出たの1999年だぞ。