マーク・デーヴィドソン「越境する巨人 ベルタランフィ 一般システム論入門」

そろそろ一般システム論入門とかに手を出してみたいお年頃。といっても「G・S・T! G・S・T!」とか言ってみたいだけ、ってわけでもない。
そこで本家本元のベルタランフィ「一般システム論」を読み始めようと思ったら、数式だの化学用語だのが連打されていて、そもそも何の本かすらわからなかったので、とりあえず入門書から読むことにした。
実際のところwikipediaを見ても、なんかすごそうだなーという感じしかしない。
一般システム理論 - Wikipedia

そこで本書の登場だ。本書ではベルタランフィの生涯を追いながら、その思想を読み解いてゆくという趣向になっている。
ベルタランフィは一応、生物学者ということになっているが、クザーヌスに関する論文を書いていたりと、一筋縄ではいかない人物である。彼はそれまでの還元主義的な機械論、神秘主義的な生気論の両方に否を唱えるかたちで、有機的なシステムを総合的に分析する必要があるという結論に至った。
あらゆるシステムは、生物でも、社会構造でも、それらは一部を取り出して全体を論議することはできない。それは丁度、ルービックキューブで一面を揃える手法だけを使って全面を揃えようとするようなものである。すべての面を揃えようと思ったら、ある一面を崩すようなこともしなくてはならない。
単純な還元主義が行き詰まりを見せ始めた現代なら、わりとすんなり受け入れられる主張であるが、ベルタランフィが一般システム論を唱え始めた当時は、逸脱した理論として見られてしまった。

さて、そもそも一般システム論というフレーズはベルタランフィの本を英訳するときに生まれてしまった用語である。これがあまりにキャッチーだったので正当な評価はさておき、言葉だけが広まってしまった。ベルタランフィ自身、あくまで完成された理論ではなく、システム分析の方向性として提案したアイデアとして書いたにもかかわらず、妙な受け入れられ方をしてしまったことに不満があったようだ。

またベルタランフィがシステムというものに倫理的な人道的側面を注入しようとしていたことは注目に値する。もっとも、これを勘違いすると疑似科学になってしまうんだけれども、正統的な科学が脳科学のような分野で非力であるという現実は、これまでとはまったく異なるアプローチが科学に必要であることを示しているように思える。そういった過程でベルタランフィが再評価される日が来るかも知れない。

越境する巨人 ベルタランフィ―一般システム論入門
マーク・デーヴィドソン Mark Davidson 鞠子英雄 酒井孝正
海鳴社 (2000/06)
ISBN:4875251955