ヴィクトル・ペレーヴィン「虫の生活」
主人公達はみな人間の生活を営んでいると同時に虫でもある。普通に人間の名前だし、文化でありながらも虫なのである。
虫だから当然小さな体なのかと思いきや、必ずしもそういうわけでもない。どうやら虫になったり人間になったり、常に人間と虫との端境を行き来する状態にあるらしい。
カフカの「変身」と異なるところは、人生で起こりうるイベントや悩みやらを虫の習性に上手い具合に写像して語っているところだ。そうすることで、虫の小さな試みに巨大な哲学的意味を付加することに成功している。
ふんころがしのフンの存在を自我と置き換えてみたり、蛾の走光性を希望へ向かう試みに置き換えてみたりと、さまざまなレトリックを展開して見せる。多様な虫たちの世界、その拡がりが同時に人間の生活になっているわけだ。
特にふんころがしの話は、モナドロジーに通じるところもあって興味深い。また、数々繰り出されるアフォリズム的な台詞のなかでも、
ある種の引用文は、しょっちゅう使っていると手すりみたいに輝くんだ
というフレーズは、かなりぐっと来た。やはりペレーヴィンはただ者でない。
ただし、本書はペレーヴィンの著作のなかでも、もっとも政治・歴史的背景が色濃い作品になっている。私自身、そのへんは詳しい方ではないので、虫の生活における対応付けが理解しづらい部分が多々あった。
もっとも、それが普遍的で哲学的な思索に通じていて、深い味わいを残すのも事実である。