イヴ・K. セジウィック「男同士の絆」

男は男同士で、女性を排除するかたちで社会構造を作り出すホモソーシャルという概念を世に広めた一冊。若桑みどり先生も一押しということで、ようやく読んだ。

注意すべきは以下の2点。ホモソーシャル女性嫌悪と、同性愛恐怖の裏返しからできているという点。もうひとつはアイドル的な女性を共有することで男同士の絆を強めているという点だ。
ホモソーシャルなところというのは今でも至る所にあって、特に権力が集まるような所ほど、その傾向は強い。政界、財界……などなどから始まり、自分のまわりを見回してもホモソーシャルは無数に偏在している。
これは男性が支配的な立場であるということもそうだが、一方で一部の女性がその構造を支えていたという現実もある。冷静に見れば、この不平等さ、非対称性はやはり気持ち悪い。だからといって簡単に男女を混ぜたり、解体すればよいという話ではない。根深い問題を抱えている構造であると言えるだろう。

さて本書は、そういったホモソーシャル構造を近代の代表的なテクストから読み解くという主旨。俎上にあげられるのはシェイクスピアからディッケンズ、ゴシック小説などだ。今だってちまたにはホモソーシャルだらけなのだから、わざわざテクストを読み解くまでもないんじゃないかという気もするが、もちろん論文なので論証は必要だ。
ただ困ったことに、この批評部分があまり面白くない。ジェンダー批評という文学批評の形をとっている以上、もう少し批評部分がエキサイティングでないと退屈してしまう。
またジェンダー批評にまとを絞りすぎていて、作品の全体像ではなく、あまりに一部分をくくりだしてきているのも気になる。たとえばジョイスの「ユリシーズ」のラストの章「ペネロペイア」は「イエス」が連打されることでも有名だが、それを女性は「イエス」と言うことを強いられているのだ、と論じたりしている。そりゃさすがに強引だろ!とつっこみたくなるというものだ。(この「イエス」はむしろキリストの方じゃないの?)

というわけで冒頭のレヴィ=ストロースやルネ・ジラールの論からホモソーシャルの概念を持ってくるあたりは非常に面白かったんだけど、その後の論証部分である文学批評がイマイチ。
なので、ホモソーシャルに自覚的な人で、とりあえず本書の主旨を知りたいという方は、最初と最後だけ読めばよいだろう。

しかしながらゴシック小説に注目しているところは、ちょっと好感が持てた。
ただゴシック小説こそ極めて旧来的で封建的な社会背景が舞台になっている場合が多いことは、読んでいる人なら誰でも知っているような気はするけど……なにかしら引っかかるモノがあるのは確かだ。
ここにはもう一段、切り込む余地があるような気がする。

余談

批評の皮切りとしてシェイクスピアが分析の対象となっているんだけど、シェイクスピアソネットはエロすぎる。
こりゃつっこまれても文句は言えないよ。