京極夏彦「邪魅の雫」

いわゆる京極堂シリーズの第八作目。長年待たされた前作がアレだったんで、今回も大丈夫なのかなあと思うっている読者も多いことだろう。

セカイ系っぽい出だしに一抹の不安を覚えながら読み始めたところ、前半のあまりの普通さに参ってしまった。
妖怪が現れるわけでもなく、不可能犯罪が起きるわけでもない。普通の事件が、かみ合わない感じで次々と展開されてゆくだけなのである。
これ大丈夫なのかなと思いつつ頑張って読み進めてゆくと、600ページ(!)くらいからようやく面白くなってきた。本作は解決編に入らないと、なにが起こっているのかよくわからないという、大変アウトラインがつかみにくい作品なのだ。

そして、こんなに人が死にまくり悲劇的な展開にもかかわらず、事件の真相には思わず爆笑してしまった。このオチは笑わずにはいられない、コメディな展開としか読めないんだけれども(とくに真犯人の正体とか)……他の意見が気になるところだ。

最終的に読み終えてみると、構造的に前半を面白くするのは不可能であることがわかってくる。中盤に出てくる批評の話が一応全体とリンクしていて、レヴィ=ストロースの神話理論のような物語構造をヒントに構成しているので、全体像がわかって初めて「なるほど」となるわけである。こういう方法論は小説家なら一度は挑戦したくはなるんだろうけど、京極夏彦でもこれには手こずらされたということだろうか。
そういう物語理論的な面から見ると「絡新婦の理」でやりきれなかったところを今回挑戦したとも言えるだろう。

また恐れていたセカイ系的な展開ではなく、というかセカイ系ではあるものの、それを上手く利用したメタセカイ系を指向した内容になっており、「陰摩羅鬼の瑕」は癒えていると言えるのかもしれない。ただし超克するような強さはそこにはない。若い読者も多い作家なので、このあたりは次回作に期待したいところ。

と微妙な感想を綴ってきたが、なんだかんだいっても楽しむことができた。ただ初読での前半の展開はキツイ、再読なら楽しめるかも知れない。というわけで事件の経緯については、読んでいる最中というよりも、頭の中で復習することでようやく滋味を感じれるという奇妙な小説であった。

余談1

澤井という人物が、10%くらいの確率で澤田と誤植されてるので気をつけてください。途中、澤田が連発される箇所があるので、ずっと別人だと思ってたよ。

余談2

19章の始まりが「人殺しですかと益田が問うと……」で始まるんだけど、京極夏彦の性格を考えると「殺しですか」の間違いだと思われる。理由が分からない人は、すべての章の始まりの文字を確認してみてください。

余談3

著者近影は久遠寺醫院の前。また、おくづけの前にある薔薇十字探偵社のロゴ?と次回作タイトルもお見逃しなく。