東京都美術館「ニューヨーク・バーク・コレクション展」

バーク・コレクションとは、メアリー・バーク夫人が半世紀にわたって収集した珠玉の日本美術コレクション。それらがニューヨークから里帰り。
縄文土器から江戸後期の作品まで、100点以上も揃っている。目玉としては、若冲蕭白あたり。また金屏風が恐ろしく沢山あるのだが、いまいち魅力を感じられなかった。
以下、気になったのだけメモ。

縄文土器弥生土器

縄文土器アウトサイダー・アートのような原始的なエネルギーに溢れているとするならば、弥生土器には現代美術のようなエレガントさがある。

池田孤邨 三十六歌仙図屏風

光琳作の模写の模写。三十六歌仙を描いているのだが、何回数えても三十五人しかいない。
模写するうちに一人欠けてしまったのか? それとも女流歌人の誰かが身ごもっているとかいうオチか?
ホント気になってしょうがない。

曾我蕭白 石橋図

2点あるうち屏風の方は、いかにも蕭白らしいグロテスクさに満ちている。
郡仙図屏風なんかを見ていると、蕭白は天然に描けちゃう人なのかなと思いこんでいたのだが、石橋図を目の当たりにして認識を改めた。
ポスターにも使われている石橋図は、緻密に計算された一枚である。絵の前に立つと目線の先に瀑布がある。そのちょっと下に落ちてゆく赤子の獅子。更に視線を落とすと、最下部には子獅子の群れが渦巻いている。子獅子たちは右上へと駆け上ってゆき、親獅子をすり抜け、石橋に至る。周りの断崖のラインは、ちょうど石橋から放射状にひろがる線の上にピタリと重なり、神々しいまでの崇高さに満ちている。そして瀑布の流れと共に落ちてゆく子ら……ぐるぐると何回でも見ることができるわけだ。
鑑賞者の心理を巧みに誘導する名作。防護ガラスギリギリまで近づいて鑑賞されたし。

伊藤若冲 双鶴図

天才には二種類ある。ニュートン的天才とケプラー的天才である。
ニュートンは画期的な物理体系を作ったが、しかし時代が下ればいずれ誰かが思いつき、まとめただろう。
一方ケプラーはどうか。たとえばケプラーの法則なんて、その後誰が思いついただろうか? あんな奇妙な法則をまとめ上げるには、頭の良さだけではだめで、一種の逸脱がなければならない。
若冲蕭白の二人は一種の天才であることには違いない。それも互いにケプラー的である。彼らの絵は、彼らがいなければこれまでも、そしてこれからも描かれなかったのかもしれない。そう思わせてくれるのが双鶴図だ。
双鶴図はごてごてとしておらず、非常にシンプルな一枚だ。にもかかわらず、その構図の妙は異様である。二羽の鶴がシャム双生児のように互いの輪郭を利用しながらエレガントに描かれている。体は一つ、足は三本、顔は二つ。そこには何の迷いも見られない。
実は若冲の本物は初めて見たのだが、予想以上に素晴らしいものであった。