他人に迷惑かけなければ何やってもいい、らしいぞ

お盆は呑みながらハードゲイ*1とハードプロブレムについて語ってばかりいた。ハードな夏だ。
せっかくなので文脈主義について色々と考えようと思っていたのだが、それ以前の問題が浮上。それは単純な絶対主義と、それと反発する形で生じる単純な相対主義だ。
アウシュビッツやオウムを見ていれば文学や科学というものが倫理観を育てる機能を果たしていないことは明らかだ。批判能力なんてなくても、残念ながら教養は身に付いてしまう。何か絶対的なことがあって、それに従ってれば大丈夫という世界観は、理論的にも実証的にも、もはやあり得ない。
今はその反動なのか、単純な相対主義がまかり通っているような気がする。単純な絶対主義が、ある基準に従順な意味で思考停止なのに対して、単純な相対主義は、なんでもOKな意味で思考停止である。
それを象徴する言葉が「他人に迷惑かけなければ何やってもいい」で。自分の正しさを主張するにはこれしかないのか現代人!という嘆きにも聞こえてくる。
まともに考えれば「他人に迷惑かけてもいいえけど、やっちゃいけないことがある」方が、社会としては健全なはずだ。ほんと、どうしたらいいんですかね、この問題。

個別と普遍の問題はさらに深刻である。長くなりそうなので後回し。