野間俊一「身体の哲学」

グロデックのエスの思想をベースに置きながら、ハイマートというキーワードで身体と精神の関係を読み解いてゆくという本。

グロデックはフロイトの考えに共感しながらも独自の理論を展開した人である。
フロイトは抑圧された無意識を含んだ精神の深部をエスと名付けたが、グロデックはさらにその概念を拡張して、心身を区別することなく、その深部にある名指しできぬ「それ」を「エス」と呼んだ。
このグロデックのエスに依拠するかたちで、精神疾病が身体に与える影響を読み解いてゆく。例としてあげられるのは拒食/過食症、解離症(多重人格)、境界例などだ。

読むとわかる通り精神医学というのは、まだ科学と言える状態にはない。これは精神医学というものが、脳腫瘍のような物理的原因を特定して精神疾病を治療するというものではなく、患者の心の奥を探っていって患者本人にもわからなかった原因と対峙させるというような非物理的な手法を用いているからである。
そのため本書でも、科学的手法というよりは、哲学や文学の理論を多く利用している。言ってしまえば、人の心や体を文学としてみたときの文学批評のようなものに近い。また本書で言及されるハイマートというキーワードも、フロイトによるホフマンの「砂男」の精神分析批評である「不気味なるもの(ウンハイムリッヒ)」と語源を同じくしている。
他にも現象学など文学理論にも影響を及ぼした思想などを積極的に取り組んでいて、文学理論と精神医学というのは双子のような存在にも思えてくる。

フロイトユングにしても、あるいはグロデックやラカンにしても、その精神分析の理論が正しいか否かというのは、まだ判断できる状況にない。経験則で言えばどれもそれなりに成果を上げているが、反駁可能性に乏しく、故に科学的とは言えないわけだ。それでも身体と精神が、もはや切り離せない構造にあるということはあきらかだ。
その上で、身体と精神が対の構造になっているように、言葉や文学が我々の日常的な生活と対になっているという前提で考えてみたくなる。そうして精神医学と批評とが同時並行で進化してゆく未来を、覗いてみたい気がするのだ。