ルシール・アザリロヴィック「エコール」
カルト少女映画。いやー、これは困る。
臆面もなくビアンカ萌え〜とか言える映画だったら気楽なんだけど、快楽的に味わうには負の部分が多すぎるので、単なるロリ好きに荷が重い。逆に、そっちに興味ない人はロリロリしやがってプンスカ!となってしまうかもしれない。
ラストシーンからストーリーもある程度解釈可能なんだけど、物語性は徹底的に排除されていて、非現実的なイメージからこの映画は成立している。むしろイメージの連続だけでこれだけの批評性を持ちうるのは凄いとは言える。
「エコール」の原題は「INNOCENCE」。かぶってるのでINNOCENCEというタイトルをそのまま使えないというのはわかるんだけど、最初と最後に二度出てくるこの原題の意味は非常に重い。ラストの方は特に。
つまりこの映画はINNOCENCEの持ちうる正と負の両面を同時に見せていることに心血を注いでいるのだ。
たとえば、この映画の印象的なシーンと言えば、暗い森の道を延々と照らす外套を少女がひとり歩いてゆくところだが、この一見無垢でファンタジックなヴィジュアルは、実はこの森が完全な人工的箱庭であるという黒い意志を同時に示していたりする。
水泳の時間、森での遊戯、徹底的に教え込まれるバレエ、初潮による卒業、棺に入れられて運ばれてくる少女たち……あらゆるシステムが少女が少女であることの純潔さ、その正と負の両面を同時に暴き出している。
だから見ている方としてはつらくなる。
ラストシーン、噴水で戯れる無邪気な笑顔で、さえも……
原作となった本。ミネハハとは「笑う水」のこと。
映画でも水のイメージが重要な要素になっている。
余談
菊池成孔が「エコール」は「サスペリア」のリメイクと述べているけど、そもそも「サスペリア」は「エコール」の原作「ミネハハ」をモチーフにしているとのこと。
→http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=060921031752