リナ・ボルツォーニ「記憶の部屋――印刷時代の文学的-図像学的モデル」

高山宏のブログで紹介されていて、おねだりして買っていただいた本。値段通りにハードだった。
印刷術が定着した16世紀イタリアにおいて、知的枠組みを規定する図像および記憶術がどのように発展していったのかを丹念に追った内容になっている。16世紀前後のイタリアでしたためられた文献をこれでもかと出してきては例証する、その手法はさながらバーバラ・スタフォードのようだ。

非情に応用的な内容になっていて、メディア論の基礎、パオロ・ロッシ「普遍の鍵」、フランセス・イエイツ「世界劇場」「記憶術」などを読んだ後の発展として読むとよい本だろう。まあ、このへんを知らない人がわざわざ読むとは思えないけれども……。いわゆる我々の知らないヨーロッパの知的枠組みの根源部分にアクセスできる本だ。

まず解題、そして序章、1章はおおまかなロードマップが示される。現代に繋がってくる近代的な図書館、および分類術、そして教育の礎ともなった百科全書派の流れが一気に16世紀において展開されたことがわかってきて興奮させられる。まさに16世紀のIT革命や!なわけだ。

それ以降は、箇条書きで書いてしまうと以下のような感じだ。
2章:記憶術と修辞学。今で言うところのマインドマップのような、さまざまな知的モデルが示される。ルルスの末裔たちによる技術革新。
3章:記憶と書物 ゲーム 知識の関係性。圧縮された知的体系としての遊戯。カルヴィーノの「宿命の交わる城」との関連性も指摘される。タグによる分類みたいな話もでてくる。
4章:心、霊魂はイメージや身振りによって記され、観相学で読みとかれる。開かれる心臓。知の解剖学、あるいは知的スペクタクル。記憶に情念が深く関わってくることも明らかにされる。
5章:場所的記憶。記憶が視覚によるものであるということ。そして絵画とテクストの関係性。マテオ・リッチなどの西洋人が漢字に感じた意味は、まさにここにある。また彫刻がもつ寓意ついてなど。
6章:記憶劇場。世界は都市、劇場にマップされ、驚異の部屋となるに至って一人の脳髄の表象となる。世界と個人がつながるウィトルウィウス的人間。

ありな書房の本は読んでいるときは、うーん、なるほど!すげー!と思って色々考えながら進めていくんだけど、自分にまとめるほどの力量がないのが歯がゆい。わからなくなったらパラパラとめくって再確認といった具合だ。
それでも脳の中の知的カラクリ装置が組み合ってゆくような快楽があり、読んでいる自分がとても頭が良くなったような錯覚に陥るのが心地よい。しかしながら内容になじみがなく難解なだけに、読んだ端から抜けていってしまうのが何とももったいない。
そんな右から左のいいかげんな読者ではあるんだけれども、ありな書房の本には人類の知の枠組みの神秘、そして窮極の知的快楽があるような気がしてならないのだ。

記憶の部屋―印刷時代の文学的-図像学的モデル
リナ・ボルツォーニ 足達薫 伊藤博
ありな書房 (2007/05)
ISBN:4756607969