ハロルド・ブルーム「影響の不安」

ハロルド・ブルームの理論は奇妙だ。 ブルームの理論は一言でいうと「シェイクスピアに与えたT・S・エリオットの影響について考える」ということである。おいおい逆だろ逆!と思ったあなたの精神はまともだ。ブルームの考え方がちょっと異様なのだ。

なぜこのような話になってくるのか、ちょっと面白いので理論的に追ってみよう。
何かの創作を行う者は、規範となる先行者に多大な影響の元でしか活動できない。しかし先行者を規範と、それこそ至高の表現であると認めていては、自らの表現はその劣化コピーとしかならない。数限りない先行者がいる時代(ブルームによればミルトン以降になるが)では、あらゆる詩人は「遅れてきた詩人」であり、先行者の影響の不安に晒されているのである。
その影響の不安を乗り越えるためには、強く誤読することによって、その影響を批評的に打ち崩してゆく必要がある。そうでなければオリジナリティを獲得することができないだろう。先行者を誤読し、テクスト同士に橋渡しされている文脈を意図的に操作し、その上で自分が創作活動をすることによって、逆に先行者が存在したのだということにしてしまわなければならないのである!

これがブルームの理論の要約だ。言われてみれば結構納得がいく理論だと思う。
本書では先行者を乗り越える誤読の方法として、以下の六つの修正比率というものを提示している。実際にはもっとたくさんの方法が考えられるだろうが、つきつめればこの六つに落ち着くというものだ。

  1. クリナーメン:詩的な誤読、正当な曲解。先行者を斜めから見る。
  2. テスセラ:完結および反低率。先行者の表現の文脈をずらして、別の意味を与える。
  3. ケノーシス:神性放棄。先行者と自分との影響を切り離す。
  4. デモナイゼーション:反崇高性。先行者の表現をより超越的な存在に属させること。
  5. アスケーシス:自己浄化。先行者の無化するのではなく部分的に分断し、自らを含めて孤独になる。
  6. アポフラデース:死者の帰還。乗り越えた結果、逆に先行者が後続の影響の下によみがえる。

創作活動において影響の不安に悩まされ、袋小路に陥っているような人は多いだろう。そんな人にとって、ブルームの理論は助けになるんじゃないかと思われる。

アゴーン」は翻訳がアレすぎて読みづらかった。本作は翻訳はいいんだけれどもブルームの文章が難解すぎてついて行けない感じがした。もし内容だけでも知りたいという人は、序文だけでも読んでみると良いだろう。あるいは「現代文学理論」などの解説書が役に立つ。

今思えば「カバラーと批評」は読みやすかったと思う。他は難解なものが多いけれども、それでも「誤読の地図」が翻訳されたら読んでみたい。それほどにブルームの論議には何か不思議が魅力があるのだ。

余談

翻訳者のひとり小谷野敦の前口上は、ちょっとアレで内容とはあまり関係ないですが面白いです。