どんがらがんな夜

それは仕事帰りにラーメン屋(といっても夜は飲み屋)へ寄ったときに起きた。
ラーメンを注文した私は、注文の品が出てくるまでアヴラム・デイヴィッドスンの「どんがらがん」を読むことにした。まるで手をつけていなかったので、とりあえず巻末の編者である殊能将之の解説を読み始めた。
隣では二十代半ばくらいのイケイケな感じの姉ちゃんと気さくな感じの兄ちゃんのカップルがなんだか楽しそうに話している。飲み屋によくある光景だ。
そんなのは気にもとめずに、私は黙黙と読書を続けていた。

すると先ほどからそわそわした様子みせていた隣の男が、いきなり声をかけてくるではないか。
「何を読んでるんですか?」
連れの彼女の方も身を乗り出して興味津々そうに、私の手元に注目している。二人とも酒が入り、ちょっとできあがっている様子だ。
ここで読んでいる本がちょっとオサレで小粋な感じであれば何の問題もないのだが、こちとらよりにもよって「どんがらがん」である。とはいえ引っ込めるのも変なので、本を見せると、
「『どんがらがん』?それって、どんな本なんですか?」
なんたるキラーパス
そもそも奇想コレクション自体「ミステリ、SF、ファンタジー、ホラー、現代文学……」という、わかる人にしかわからないようなコンセプトじゃないか。しかもその中でも最も異色な作家であるアヴラム・デイヴィッドスンである。ピンチだ。まだ読んでもいない「どんがらがん」を、どう説明しろと言うのか! いや、仮に読んでいたとしても無理ってものだ!
しどろもどろになりながら、とりあえず殊能将之の言葉を借りて「変な小説ですよ」と答えた。続けて「まあ面倒な言葉で言えば幻想文学って感じかな」と補足。だってほら世界幻想文学大賞受賞してるし。
案の定、キョトンとしている、こっちも「どんがらがん」(それも未読)じゃネタの展開に窮するってば。
せっかくなので何とか話題を広げて、互いに簡単な自己紹介をした。私が「無駄に本は読んでます」というよなことを口にすると、彼女の方が「何かオススメの本とかありますか?」と聞いてきた。
オススメの本と言われたら、アレしかないでしょう。そう、それはレーモン・クノーの「文体練習」である。変わった本の話をするときに注意をしなくてはいけないのは、相手の好奇心をそそるようにしながらも、かつエッセンスを伝えなくてはならないということだ。できるだけ相手に通じるアナロジーを駆使する必要がある。
一応通じたらしく、妙に感心していただけた。そして、さすがにここにきて、相手もこちらが変わった奴だということを理解したようだった。
しかしこのシチュエーション、相手の立場で考えると実に面白い。なんせ酔った勢いで声をかけた人間が奇書マニアで、次から次へと普段なら絶対にしないようなトークをふっかけてくるのだから。そう考えるとだんだん面白くなってきたので、向こうの話に合わせつつ、こちらの意見もどんどんぶつけることにした。一期一会は大切にしなくては。
最近ずっと考えているようなこと(「これからは啓蒙だ」「他者は絶対に消費できない」「文学とは何か?」「読書というのは知識を摂取するというより体験なのではないか?」などなど)を交えつつトークを繰り広げてゆくうちになんだかお互いに盛り上がっていった。結局、その後2時間ばかり語り合い、とても楽しい一夜を過ごすことができたのだった。

いやあ世の中妙なことがあるもんですね。(と思ってるのは、たぶん向こうの方だろうけれども)