小山田二郎展「異形の幻視力」

場所は高崎市立美術館。以前、東京ステーションギャラリーでやっていたものの巡回展である。

実は小山田二郎についてはまるで知らなかった。日本におけるシュールレアリスムの画家であり、瀧口修造に見いだされ、海外の真似事でない独自の境地まで行った数少ない画家である。

詳しくはどんな人かというと……

小山田二郎(1914-1991)は幼い頃に親戚の日本画家・小堀ともと鞆音に透明水彩を学び、父親の反対に会いながらも画家を志望。1934年、帝国美術学校(現武蔵野美術大学)図案科に入学しました。途中から西洋画科へ転入するものの父親の仕送りを絶たれ中退。その後は流転の生活の中、独立美術協会展や美術文化協会展に出品。戦時体制下はシュルレアリスム弾圧があり一時絵画に絶望をしますが、戦後、再び画家として立つことを決意し、自由美術展を中心に発表をしました。1952年、瀧口修造の推薦によりタケミヤ画廊で個展を開催し高い評価を受けます1959年に団体展に疑問を持ち、自由美術家協会を脱退。以後は画廊での個展を中心に作品を発表しました。
1971年以降は友人にも居場所を知らせずそれまでの家族を残して失踪、社会との関係を画廊に送る作品のみに限るようになります。1991年7月の死も、多くの人は翌年の新聞記事「ひっそりと去った異才―小山田二郎という画家」(針生一郎)で知ることになります。
小山田は自身の身体的特徴と失踪という事件により社会から隔絶することを余儀なくされ、関心は心の内側に向かい記憶の中の幻想や内面の小宇宙を描きました。
その独特の攻撃的・自虐的な造型感覚と表現力は観る人の心を鷲掴みにし、鮮烈で衝撃的な印象を与えます

東京ステーションギャラリーのプロフィールから引用。
http://www.ejrcf.or.jp/archives/exhibition/detail.asp?id=118&index=1

油彩と水彩が半々ぐらい、プラス少々のスケッチが展示されていた。反キリスト、鳥女、舞踏、と独自のモチーフに関する絵が多く、極めて偏執狂的な感じがする。奇っ怪な目玉が至る所にある所などはルドンを思わせる、ことにスケッチはタッチを含めて影響が多く見られた。
まあ正直なところ類似性を指摘しても仕方ないだろう。赤青黒を多用した壮絶な画風に、類似性を超えた凄みがあるのは確かだ。それを確認しただけでも行った価値があったというものである。

また、これは自分だけが感じたのかも知れないが、舞踏の絵が中世の男の人魚に造形が似ているせいなのか、どの絵を見てもなぜだか海のイメージが含まれているように感じた。海底火山が燃え上がり、生と死が入り交じる生命誕生期の原始の海だ。そう思えば、奇怪な目玉も、鳥女も身体の境界が曖昧だし、ドッシリとしているにもかかわらず重力というものを感じさせない。まるで深海の生物のように。
もしかしたら小山田二郎は海を憧憬していたのではないだろうか? と個人的な妄想を書き留めておく。


もう一つの発見。
自分が美術館でじっと見る絵はほとんどが油絵だということに気づいた。水彩が悪いというわけでは全然ないのだが、油絵の方が見ていて満足感があるのだ。これはどういうことなのか考えてみた。
水彩画は本物と印刷の差がほとんどなく、下手をすると写真の方が綺麗だったりする。しかし油絵だと凹凸や照り返しによって驚くほど表情を変える。また近くで見ると生々とした筆のタッチが見えてくる。本物の油彩画には絵的な魅力だけでなく、オブジェ的な魅力が備わっている、恐らくはそれに惹かれるのだろう。

リンク

ちなみに小山田二郎の絵はこんな感じです。
google:image:小山田二郎

余談

小山田二郎ポートレートにも驚かされたのだが、一番びびったのは彼の娘の名前だ。
長女は魔理亞、次女は亜巣架
やばすぎるよ。