フェリシア・ミラー・フランク「機械仕掛けの歌姫」

19世紀の文学における人造美女に焦点をあてた文学研究書。人造美女の、しかも声に焦点を当てているあたりがキモである。
訳者あとがきにもあるように『イノセンス』や『初音ミク』を有する我国がこれをスルーしてよいわけがない。タイトルからして「どうみても初音ミクです。本当にありがとうございました」だ。ミッシェル・カルージュ『独身者の機械』の系譜は、まさに今、花盛りなのである。

人造美女ときたら普通はヴィジュアル先行と考えがちだが、本書でのコアとなるのは音声である。まずもって他者と自己との境界をヴィジュアルで得るおなじみの「鏡像段階」以前に、母からの呼びかけを中心とした「音響の鏡」の認識があるというディディエ・アンジューの理論を強調する。

一方で女性に音声、男性に書き文字と属性を振り分ける二分法の危険性の指摘も忘れない。近代哲学から現代思想の潮流を踏まえた上で語っており、信頼できる書き手だ。
その中で19世紀文学における女性の声は、メスメリズムの如き神秘性を帯び始める。俎上にのせられるホフマン『クレスペル顧問官』では、ソプラノ歌手とヴァイオリン(人間の声に似せて作られた楽器である)が照応する。

そして本来、女声に与えられた神秘的な声は、カストラートのようなある意味人工的で非人間的な音声により強く象徴されてゆく。それは天使の歌声であり、性別を超越した声なのだ。

最後に控えるのはヴィリエ・ド・リラダン未来のイヴ』。まさにテーマそのものの小説だ。たしかに本書で指摘するとおり『未来のイヴ』では音声がことさら強調される。蓄音機の発明がリラダンに『未来のイヴ』を書かせたというのもあながち間違いではないだろう。

さて「マシーン・セリバテール」の作詞者としては本書は絶対に外せない一冊であるし、作詞をする前に邦訳されていればと思う部分は大いにある。ちなみに「マシーン・セリバテール」では『未来のイヴ』『KEY THE METAL IDOL』『イノセンス』『初音ミク』に共通する系譜、声(魂)の主たる存在の隠蔽性を裏テーマにしている。
しかしながら、もしかすると現代日本潜在的にこの本の研究を完全に超えてしまっているのかも、という気持ちもある。著者には現状の日本の状況を踏まえた上で続編を書いてもらいたいものだ。

いずれにせよ興味深い本ではある、気になっている人は必読のこと。

余談

レーモン・ルーセル等の訳書がある新島進の訳で『独身者の機械』の新訳が進行中とのこと。今年はマシーン・セリバテールくるよ!