ジョルジュ・バタイユ「呪われた部分」

マルセル・モース「贈与論」 - モナドの方への流れで読んだ。
これを経済学の本と言ってしまうと、経済畑の人に怒られてしまうだろう。「過剰とは美である」というウィリアム・ブレイクの引用から始まる本書は、むしろ経済学以上の人間の活動全体を射程に入れた、実に野心的な本である。

バタイユの主張は大変シンプルだ。交換による獲得手段が起源としては、獲得への要求ではなく、逆に破壊と損失への要求から発したものである、ということだ。あらゆる生物は生きるためにエネルギーを獲得または生産しようとするわけだが、必要以上に得たエネルギーは成長に投資するか蕩尽するか二つに一つしかない。ポトラッチのような破壊的交換儀式は、この蕩尽から生まれたものであるとバタイユは主張するのだ。
このことをバタイユは普遍経済と呼ぶ。イスラム教では軍事力に、ラマ教では修道制度と僧院へ余剰エネルギーを注ぎ込んだ。そんな風に、この蕩尽という概念を使って、バタイユは経済活動だけでなく、戦争、宗教、イデオロギーをすべて説明してみせようとする。
富とは蕩尽して初めて価値があり、(良くも悪くも)文化的な営みへと昇華されるのである。

ラストの「消費の概念」では消費活動の発露の一形態である芸術活動を二つのカテゴリーに分類している。建築や音楽のような実質的消費と、絵画や文学のような象徴的消費だ。このあたりの論議はいまいち厳密性に欠けるような気もするので、情報のやりとりを文化活動と呼んでいる今こそ論議を詰める必要があるだろう。
イデアとしては大変面白く、ある意味では「贈与論」よりも使える一冊なんじゃないかと思われる。


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