「ユリイカ 増刊号 総特集=初音ミク」

ソワカちゃん特集ということでダッシュして買ってきましたよ!
あれ?誰だろ、この表紙のソワカちゃんみたいなの……

とまあ冗談はともかくとして、この初音ミク特集、非常に面白い。まず執筆陣の意見を総合すると、初音ミクは存在しないということだ。
ミクの実体があるとすればそれは声優を担当している藤田咲であるはずなのだが、藤田咲への言及というのが異常に少ない。白田秀彰だけが何度も使っているが、これも権利の話として出てくるだけであり、声という実体としての言及ではない。この記述を抜いてしまえば、10数回くらいしか藤田咲の文字はでてこないだろう。
円城塔の言葉を借りるならば、初音ミクとは「金属製の箱に囲まれた小さな空気の固まり」なのである。
公式設定も少なく、人それぞれが自分の想いを乗せられる巫女のような存在である。ネタとしても同じことがいえて、現代的な問題を語ってゆくには絶好の素材であると言えるだろう。だからこそ執筆陣もそれぞれの専門分野に引き寄せて、気持ちよく文章を書けたのだろうと想像される。
ネットというインフラが登場したことで起きた変化を語る上で、そのアジェンダとして初音ミクがあると言っても過言ではないだろう。
それだけに初音ミクの実体に近づこうと、ミク好きの人が読むと少しがっかりするかもしれない。

また「初音ミク」という言葉の使い方も人それぞれ。音として、声として、視覚表象として、現象として、ソフトウェアとして……使われ方に微妙に差異がある。
このあたりを厳密に使い分けているのが伊藤剛だ。これは伊藤剛だけがソワカちゃんという分離したキャラクタとの比較で語っているためであり、キャラとしての初音ミク、そしてソフトウェアとしての初音ミク、を意識的に使い分けている。これは氏自身の論にもマッチした形であるのだろう。というわけで対談で一人ソワカちゃん語りをしたくてたまらずにソワソワし、もうソワカちゃんと心中するつもりなんじゃないか!というくらい愛と情熱に満ちた伊藤剛の論考は、自分がソワカちゃんファンだからという贔屓を除いても興味深い。

ちなみに本書を読んだ感想を1時間ほどustreamで一人語りしたのち、筑波批評社ust番外編にゲストという形で同様の内容を語った。それに関しては、こちらのログを参考にして欲しい。(@trickenまとめご苦労様でした)
http://tricken.tumblr.com/post/65938780/081219-muichkine

斎藤環ソワカちゃんの話をふらせておいて「のっけからニコニコ動画の話題じゃないですか(笑)」と白々しい微笑みを浮かべている伊藤剛斎藤環のマンガ対談2009も、ソワカちゃんファンなら読み逃せない。

追記

ソワカ愛あふれるコメントいただいてしまった……

ゲーラボで重要なのは、斎藤先生も「ソワカちゃん」を高く評価してる点なんですってば! 紙幅の問題でカットされてるけど、 「そん神」は名曲だって言ってたし。

http://b.hatena.ne.jp/goito-mineral/20081224#bookmark-11407728

ゲーラボの紹介が適当になっちゃったんですが、斎藤環伊藤剛キャラ/キャラクター論を踏まえつつソワカちゃんの立ち現れ方の複雑さに言及していました。個人的にはkihirohito氏のパロディセンスの複雑さ(黒瓜黒男とか)に惹かれる。
ちなみに斎藤先生はソワカちゃんOPを30回以上見ているらしいです。