米盛裕二「アブダクション」

アブダクションと言っても宇宙人にさらわれるアレではないですハイ。推論のための論理操作のことだ。
三段論法の推論には三種類あり、演繹、帰納、そしてアブダクションだ。簡単に説明すると以下のようになる。

演繹法
AならばBである
Aである
よってBである
帰納法
Aである
Bである
(上記のような例がたくさん見られる)
よってAならばBである
アブダクション
Bである
AならばBであると仮定する
よってAであるらしい

この例を見ていただくとわかるが、演繹法は論理的に間違いがない。しかし帰納法アブダクションは当然誤っている場合がある。
アブダクションで言うと、オレオレ詐欺はわかりやすい誤謬の例だ。

電話主が「オレオレ」と言う
息子は「オレオレ」とよく言っている
よって電話主は息子であるらしい

と同時に、これがコミュニケーションにおいて重要な役割を果たしていることもわかるだろう。もしも電話の主が息子であると確実に判断しようとしたら、大変なことになり電話どころではなくなってしまう。
ちなみに、着信番号が息子であれば、息子であるだろう、というのもアブダクションだが、これもまた他人が使っている可能性が否めない。

科学理論はほとんどアブダクションだ。たとえば量子力学という仮説を立てることによって、ミクロな世界の振る舞いを説明できる。だからと言ってそのモデル正しいわけではない、Aという仮説を立てると上手く説明できてしまうので正しいとしても問題ないという話である。

また統計的手法は帰納法と思われるかもしれないが、ここにもアブダクションは潜んでいる。そもそも統計的に「使える」サンプルを見つけるところから始まるわけだが、なにが「使える」サンプルなのかという仮説はアブダクションによって立てているからだ。
他にもミステリにおける探偵の思考法、あるいは医者が患者の症状から病因を推論する方法もまたアブダクションである。本書の例で言えば、ナポレオンが確かに存在していたと信じるに至ることもアブダクションである。

本書では例をたくさん挙げながら、パースがいかにしてアブダクションに注目していったか、あるいは他の哲学者の思想とアブダクションの類似点相違点を点検してゆく。
自分自身もミステリにおける推論、あるいは批評理論的な「読み」とアブダクションに注目していて、なにかしら上手くまとめられないかと思っていた。アブダクションの資料は少ない中、本書はわかりやすく明解であり次のステップにコマを進めるためには良い一冊である。

ただパースによる説明の仕方はちょっとわかりにくかったり、説明として上手くないものも多い。帰納法批判で、誤った仮説に導かれる例なんかは、明らかにサンプルが足りないだけだ。
しかし本書を読めばわかるとおり、アブダクションには人間知性の根源がある。我々はパース以上にパースを知り、このアブダクションの正体を探っていく必要があるだろう。