鈴木謙介「カーニヴァル化する社会」

あまり社会学系は読まないんだけれども、いつもpodcastでLifeを聞いているので、一度くらいはチャーリーの本を読んでみるかと手に取ってみた。

比較的わかりやすい文章で、ぐんぐん読ませるし、主張も論理も基本的には納得いくものであった。若手であるということとベンチャー企業につとめていた経験から、技術系に目配りが利いているところは特に好感が持てる。基本的な主張は、Lifeで断片的に聞いていたことが殆どだったんだけど、ひとつの流れで読めたのはよかった。

ちょっとひっかかったのが2章のデータベースと個人の関係性のところ。ここではAmazonのおすすめ書籍を例に、データベースとアルゴリズムに確率的に選び出された結果に人間的理由を見いだすという点だ。もちろん選択アルゴリズムとデータベースが隠蔽されてる以上、そこに人間的な臭い、あるいは魔術的なものを感じるという主張はわかる。
しかし、私個人が平均的なサンプルではないのかもしれないが、自分はそんな風に感じたことはないし、現在の技術はまだそこまで至っていないように思える。
また全般的にデータベースという概念の用い方がちょっと気になってしまった。間違った使い方ではいないんだろうけど、データベースの技術的意義と利用法とを混同しているところが気持ち悪かったりするのだ。

データベースの用語の使い方に関しては、本書だけでなく東浩紀の「動物化するポストモダン」を読んだときもやはりひっかかっていたことを思い出す。特に社会学系の人たちは、データベースを技術屋がいうところのDBではなく、なにか背後に亡霊を引き連れたような存在として描いているような気がしてならない。

本来データベースは17世紀に隆盛したアルス・コンビナトリアの思想が、いわゆる人文科学的背景になっている。そういう思想的背景と、単に技術的な機構と、現実での利用のされ方と、概念的には多重であるので、人それぞれデータベースに対する思いが違うのではないかと思われる。なのでナイーブな使われ方をされるとどうしても気になってしまうのだ。
実社会においてデータベースが切り離せなくなってきた今こそ、もうちょっと明確に検討してゆく時期に来ているのかもしれない。

余談

鈴木謙介って名前が微妙に覚えずらいので、Lifeでの呼び名をチャーリーとしたのは正解ですね。