中沢新一「はじまりのレーニン」

あらゆる予備知識と先入観を捨てて読んでくださいとの前書きから始まる。もともと予備知識も先入観もなかった自分としては、多少の警戒心だけを持って読むことにした。

よく笑うレーニンというのを軸に、序盤こそ歴史的な背景やら思想やらに裏打ちしながら書かれているんだけど、第五章の聖霊による資本論ヤコブベーメに言及するあたりから、ちょっといかがわしい臭いが漂ってくる。
そこからはフィリオクエ論争という正教キリスト教カノンの書き換え問題から、レーニンヘーゲルの関係をつなげてゆくという誠に奇っ怪な論議へと展開してゆくのだ。最終的にはグノーシス主義をキーワードにして、隠蔽されたレーニン像を明らかにしてゆく。
普通なら、なんだこれ?となってしまうところなのだが、そこは中沢新一の筆致に押されて、そう言われてみればそうかもしれないという気になってくるから不思議だ。

レーニンは恐がらずに墓へ行った、と締めくくられるエピローグには、えもいわれぬ感動すら覚えた。なんとも不思議な読後感の残る本である。

余談

言うまでもなく護法少女ソワカちゃんの影響で読みました。
OPでメカ沢新一先生が持っている「はじまりの冷麺」の元ネタです。