石井義長「阿弥陀聖 空也」

GWはソワカちゃんの影響で六波羅蜜寺に行ってきたこともあって、まあクーヤン空也上人ラブなわけです。というわけで読んでみた。

空也上人の主張は簡潔だ。
いかなる人間も、ただ南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽に行ける。
なんと分かりやすいスローガンであることだろう。だがそれを安易の二文字で片付けられないほどの重厚な背景を空也は背負っている。いや、あらゆる重々しきものを捨て去ってしまい、すべてを受け入れようとしたところにその凄味があるのだ。
そんな空也の生涯を、当時の宗教観を背景に起きながら文献に忠実に描き出している。ところどころ超自然的なエピソードを科学的に説明して見せたりと、ちょっと天然な解説もニコリとさせられるものの、どのエピソードをとっても、空也上人の包み込むような優しさと首尾一貫したポリシーが見えてくる。富める者からは尊敬され、貧しき者には愛され、悪人たちも一目を置かれる存在感。それは今なお受け継がれ、後世に作られた六波羅蜜寺蔵の空也上人像にもハッキリと現れている。

本書自体はド素人向けではないようで、仏教とその歴史にあまりに無学な自分には、単語の意味などを把握しきれない点も多かった。次は同じく選書メチエの「密教」を読んで知識を深めていきたい。

余談1

ちなみに六波羅蜜寺では空也上人グッズの少なさと、惨痢王キティちゃんストラップの豊富さに憤慨しました。

余談2

クーヤン&空也が浄土宗なのに二胡堂寺が真言宗なのは、六波羅蜜寺真言宗になったことと関係しているのかなと妄想してみたり。