マリアの心臓「天野可淡展」、ヴァニラ画廊「埜亞×メリユ×森馨『残酷な姫君の宴』」

渋谷でマリアの心臓、その後に銀座でヴァニラ画廊で、二つの人形展を鑑賞した。

今回、多くの人形を見てわかったことは、その瞳の多くが焦点がないことだ。つまり視線が平行になっているので、その視線は交わることなく無限遠方を見つめているのだ。
その設計が、無意識によるものなのか、意図的なのかはわからない。人形作家さんに聞いたところ、技術的な問題もあるらしい。
けれども無限遠方を見つめる視線は、どこか神秘的だ。その永遠を憧憬する瞳を見つめていると、自分が自分でなくなってゆくような気にさせられる。

一方でまた、美しい人形というのは、見る者に絶望の感情を引き起こす。
つまり自分は、この人形のようにはなれないのだという絶望である。一瞬を切り取れば人形にまさる人間もいるだろうが、トータルとしてはかなうわけがない。生命のないものに勝てる方法など始めからなかったのだ。

こうして人形を破壊する妄想を抱くに至るのである。


人形を鑑賞することは、ただの芸術品、美術品を見るのとは違って、非常に複雑な感情がない交ぜになった奇妙な気分になる。自分自身、その淵源になにがあるのかはわかっていない。
その不思議さを今はまだ噛みしめていたい。

今回の展示情報も載っている。