バーバラ・A・バブコック編「さかさまの世界」

車が牛を曳き、羊が羊飼いの毛を剃る。王が家臣に使え、男と女の役割が入れ替わる。そんなアデュナタという「さかさま世界」を描いた図像やお祭り、あるいは諸芸術が、いかなる文脈で語られてきたのかを分析する論文集。

あるカーニヴァルでは、街一番の愚者が一日だけ王様(モック・キング)となり、その日が過ぎると殺されるというイベントがあったりした。
貴族の間でも遊戯として行われていて、その様子はたとえばシェイクスピアの「真夏の夜の夢」なんかで知ることができる。(これに関して書かれたヤン・コットの「シェイクスピアカーニヴァル」という名著も忘れてはならない)
価値の逆転は、たとえば年一回だけなど、特別な日だけとりおこなわれる。毎日のようにやっていたら、それこそ上が下に、下が上になるだけで、その構造は変わらなくなってしまうだろう。

このようなへんてこりんなアデュナタ世界が、なぜ伝統的に多くの社会に存在するのか、それはやはり知的存在である人間そのものの生きる知恵が、こうしたものを必要としているのではないかと思う。やりきれない世界において、道化を欲する両義的な欲望は、逆転した倒錯の中で上手く回収されていったわけだ。

毎日のようにどこかで「祭り」が開かれている現代社会、あるいはネット社会は、こういう伝統を真剣に再考する必要があるだろう。また、ここには人間存在の本質が見え隠れしているので、人文科学におけるひとつの道しるべがあるような気がしてならない。そういう意味では、あらゆるジャンルにおいて使えるモチーフなのではないだろうか。

また本書の最後には、山口昌男の解説があって、それが自己対談形式になっていて大変面白い。両義性、道化論、といった分野にいち早く注目した山口昌男だけあって、深みがあるだけでなく、良い読書案内にもなっているので、ここだけでも読むとよい。

さかさまの世界―芸術と社会における象徴的逆転 (岩波モダンクラシックス)
バーバラ・A. バブコック Barbara A. Babcock 岩崎 宗治 井上 兼行
岩波書店 (2000/11)
ISBN:4000265474