ジョルジュ・ペレック「美術愛好家の陳列室」

文学実験工房ウリポのエース、ペレックの中編。
いかにもペレックらしい短いながらもピリリと効いた、味のある作品である。

本書のテーマはギャラリー画と入れ子構造。
ギャラリー画とは18世紀のイギリスで流行した絵画で、大量の絵画を並べ立てた部屋を絵にしたものである。
俺はこれだけの絵を持ってるんだぜ!というカタログ的役目を果たしたり、一枚で何十枚ぶんも絵があってお得だぜ!という感じでお金のない人に人気があったりもした。
このギャラリー画自体、絵の中に絵があるという時点で入れ子構造なんだけど、本書に登場するギャラリー画は、更に絵の中にその絵自身があるという中心紋になっている。
中心紋、Mise en abyme(ミゼナビーム)と呼ばれる技法は、今ではCGの発達でおなじみのアレである。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Mise_en_abyme

さて本書ではヘルマン・ラフケというコレクターが所蔵していた一枚のギャラリー画が話題の中心となる。ドイツ人の画家キュルツによって描かれたとされる、この絵は、先も述べたように中心紋の構造になっているんだけど、これがもの凄い。
この絵の中には百近い絵画が描き込まれていて、その中の1枚に、この絵自身が現れる。ということは、その絵の中にまた百枚近い絵があって、その中にこの絵自身があって……という想像するだけで混乱する、リフレクションしまくりの鏡地獄なわけだ。
ペレックの仕掛けはこれだけではない。
この入れ子になってゆく段階で、絵が少しずつ変化していっているのだ。その変化のさまに、絵を見た人々は釘付けとなる。そしてこの錯綜した入れ子構造が、この小説自身の構造と同型になっている。これはまさにペレックが「人生使用法」で用いた、わずかに改変した引用を巧みに用いる技法である。
つまり本書は「人生使用法」のオマケ編、絵画編なのだ。このへんは解説に詳しく載っているので、併せてじっくり読む必要でもらいたい。

本編は物語というよりは、ラフケのコレクションが売りに出され、その入札記録という形で淡々と進んでゆく。その中で虚実入り交じる絵画の蘊蓄と、キュルツのギャラリー画の複雑さにクラクラしてくるだろう。
それだけに最後に唐突に現れる壮絶なオチに驚くはずだ。