西垣通「情報学的転回」

タイトルは二十世紀初頭に起きた言語学的転回をもじったもの。情報学者西垣通の語り下ろしである。
西垣通といえば、「思考機械」で人工知能の話なのにホッケの「迷宮としての世界」を引用して見せたりと、異常なまでに博識なマニエリストでもある。

本書は、現代は人間がコンピュータの奴隷になっている、それも自ら進んでなっているという苦言から始まる。
我々は爆発的に増えてゆく情報に振り回されている。でも情報社会って言うけど、その情報ってシャノン情報量でしょ? 大事なのは、本来生命が持ち合わせているオートポイエティックな生命情報(およびそこから派生するもの)なんだ。というのが本書の主旨。
またそこにおいて必要なのが、聖性であったり、文化的背景であったりする。日本は明治維新、戦後と下るうちに、そういうものを全部捨てて、単にアメリカの真似事ばかりしてる、だから空疎になってゆくんだと語る。

第五世代コンピュータの失敗で学ばなければならなかったことは、多神教的世界観の日本には、本源的に一神教的世界観の産物であるコンピュータの開発を行える土壌がなかったんだということだ。西垣通が以前から語っているのは、コンピュータはユダヤキリスト教的文化から生まれたと繰り返し語っている。
コンピュータの父であるフォン・ノイマンユダヤ人であることは言うまでもない。さらに辿るならば、論理や言語を数値化して計算することで思考を行うという発想の起源はカバラの秘術にある。それがルルスや、ライプニッツとかに影響を与えて、コンピュータの基礎モデルを作っていった。
コロンブスアメリカ発見にも、その歴史が深く関わっているらしい。この辺は「1492年のマリア」を読むとよい。
だけど日本にはそういう歴史の積み重ねがない。だから文化を豊かに発展させてゆくには、本来日本が持っていた世界観をうまく利用して情報と向かい合わないといけない。そのヒントを古代インド哲学に求めたりと、改めて振り返るとものすごい本である。

進歩主義に疑問を投げかけたり、勉強はやればできると思われてるけど現実はそうじゃないとか、現代日本が抱えている暗部をズバズバ指摘するのは気持ちいい。実に爽快な読書体験ができる。

語り下ろしなので読みやすいし、論旨もはっきりしている、いわば一般向けの本。こういう本こそ、有名な出版社の新書かなんかで出て、多くの人に読んでもらった方がいいんじゃないだろうか。情報学的転回をするには、もっと大勢の人が本書で書かれているような疑問を、自らに問いかける必要があるだろう。

ただの歴史小説ではない。実はコンピュータという思想背景と大きくリンクしている。

余談

そういえばプログラム界隈で敬虔な人が多いのも、ユダヤキリスト教文化のロゴスの思想が影響しているからなのかな。