ロラン・バルト「神話作用」

構造主義の一翼を担ったロラン・バルトの代表作。クイズダービーでおなじみの篠沢秀夫訳を古本で仕入れたところ、著作集がでてしまったという悲しいエピソード付きである。篠沢秀夫訳は抄訳なので、これから読む人は著作集を読んでいただきたい。

本書での神話というのはギリシャ神話や北欧神話の神話というよりは、不敗神話や安全神話といったものに近い。ある時には権力者が、ある時には大衆が創り上げていった現代の神話、それがどのように作用しているのかを分析している。今で言うとカルチュラル・スタディーズとか社会学という範疇なのだろうが、当時としては珍しかった。
これぞバルトの先見性というかお茶目なところである。似たようなところでは、ファッションの記号論を分析した「モードの体系」なんかも書いている。むしろバルトのような人間がいたからこそ、アカデミックな領域が広がったという側面もあるだろう。

さて内容だが、俳優、映画、占い、プロレスやストリップまで今で言うところのサブカルチャー的なものを網羅した批評を展開している。書かれてから50年ばかり経っているのだが、おいおいと突っ込みたくなるものから、あるあると思わずうなずいてしまうのまで、読んでいて楽しい。
批評理論的には「ないない批評」というのが読み所。批評ってのは無動機でも、政治的でもあってはならないというけど、先立つ思想もなしに批評なんてできないよ、という主旨。もっともである。

とまあ前半はこんな感じで個別の事象について語られているが、後半は現代の神話の理論的な説明になる。ソシュールシニフィアンシニフィエを拡張する形で神話というものの定義をしたり、構造主義を勉強したことがある人ならおなじみの図式が登場する。
このへんの理論的側面を含め、バルトの言う神話というのは今では当たり前のように使われているわけだが、逆にそこで足踏みをしている現状に不安を感じないでもない。神話には形式的限界があるが、内容的限界はないと論じられている。すべては神話かもしれない。我々は乗り越えることはできないのだろうか?
見渡してみると、あらゆるところにバルトの言う神話学者があふれかえっている。社会学者、TVのコメンテーター、ブロガー……

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