今野緒雪「マリア様がみてる――未来の白地図」

誕生日にして今年最後の記念すべきエントリーである。来年は戌年なので、まさにトリだ。

本当はロラン・バルトの「神話作用」が今年最後になるはずだったのだが、諸事情から読み終わらず……というわけで、色々な意味で記念すべきラストは本書である。なんていうか日頃の行いというか、象徴的ってヤツですかね。

マリみてといえば、一気に読んだとき同時進行でノースロップ・フライの「批評の解剖」を苦労しながら読んでいたことが思い出される。ビバ神話批評。
それから月日は経ち、ついに23作目。もうここまでくると、つべこべ言うのもバカらしい。シリーズものはある段階を越えると、作者本人でさえ制御不能になってくる。里見八犬伝状態。なので読者はただ正座してテクストの快楽をむさぼるしかないわけだ。

しかし、それではあまりに芸がない。せっかくなので、設定など抜きにして、単純にマリみての文章の魅力を考えてみた。
どうやらマリみての魅力は、展開の絶妙な小気味良さにあるらしい。つまり良い意味で半歩先が読めるという感じ。これはミステリで言うところの、コイツが犯人じゃないの?と読者が思った人物が次に殺されてしまう、というような快楽に近い。
ミステリの場合は、そのストーリーが読者モデルの想定するストーリーと負の相関があるのだが、マリみての場合は正の相関がある。いずれにせよ、きちんと読者モデルを想定していないとできない芸当で、このあたりの巧みさに作者の年期を感じる。

余談1

ちなみに一番ウケたのは以下の所

ニッコリ笑うは、盾ロールの少女。(原文ママ

……って誤植だ!
28ページ、恐らく初版のみでしょう。
次のページがまさにこの文章の挿絵なんで、ちょっと残しておきたい気もする。

余談2

後書きの勘違いにちなんで……
原文ママ」という表記、初めて見かけたのが手紙に対する注だったので、かなりの間、原文をお母さんが書いているんだと思ってました。トホホ。

余談3

祐巳の父親は設計事務所を開いているんですね、ホットだ。
そういえばアニメ版の福沢家はル・コルビジェの建築に似ている。まさか祐巳パパは「家は住む為の機械である」とか語っちゃうポストモダニストなのか?