ニコラウス・クザーヌス「学識ある無知について」

反対物の一致(コインシデンティア・オポジトルム)で有名なクザーヌスの名著。
クザーヌスは15世紀に活躍した神学者・哲学者。ルネサンス哲学の代表格である。
ブルーノ、パスカルライプニッツヘーゲルらに影響を与え、近・現代哲学の本を読んでいてもちょくちょく出てきたりするので、気になっている人も多いだろう。

第一部は論理と用語の定義であり、数学や幾何学について語られる。第二部は世界観と宇宙論。第三部はキリスト教の玄義についての考察となっている。第三部はキリスト教に興味がないとつらいかもしれないが、第一部、第二部は必ず得るものがあるだろう。

徹底した理詰めの論議が行われるのだが、近代科学の論理とは少々違っている。よく言えば面白いが、悪く言えば甘い。
たとえば第一章では絶対原初の1に3性があることが結構強引に証明される。といっても三位一体だからという単純なものではなく、3性に何か直感を感じていたであろうことは間違いない。3性がないと関係性を発展させることができないからだ。グラフ理論的な表現を使えば、ノードの次数が2以下では紐のようにしか繋がることができないが、少なくとも3あれば複雑な関係性を表現することができるからだ。この3性への着目は、時代が下り下ってだってC・S・パースに受け継がれている。

また円が無限の三角形から構成されるというところなど、このままではちょっと数学的には甘い。だけど、これが後にライプニッツに影響を与え、平面を無限に細かくして面積を求める積分へと繋がった。

こんな風にクザーヌスの直感と、それを詰めてゆく論理には眼を見張るものがある。未熟ながらも光るアイデアが、極めて濃密な思考の下に描かれているのだ。

第二部の宇宙論では、ヘルメス・トリスメギストスの「神は至る所に中心を持ち、しかしどこにも円周を持たぬ無限の球である」という概念を宇宙論へ拡張している。古代の思想を巧みに取り入れているところも読み所である。

ガチガチのキリスト教にこだわらず、ネオプラトニスムなどの思想をどん欲に取り入れて、独自の世界観を創り上げている。独創的で、郡を抜いていていながらも、精緻で論理的。ルネサンス普遍人、恐るべし。

よく古代・中世の思想に、現代の科学や哲学の根本があると言うが、たとえばデモクリトスの考えていた原子と、今の我々が考えている原子とはまるで違う。ただしメソッドという意味では共通のはずで、そこを上手くお知恵拝借することで新しい地平が見えてくるだろう。特にルネサンス哲学やルネサンス魔術は相反する概念を調和させるというポリシーが見られ、割と今っぽい。温故知新はやはり大事だ。

クザーヌスの世界観は、部分部分を近代以降の哲学者たちが吸収しているが、まだまだ精査されていないところもある。これからの思想を広げてゆくうえでも、おさえておいても損はないだろう。

De docta ignorantiaを「学識ある無知」と訳しているところもポイント高し。