サルバドール・エリソンド「ファラベウフ」
ぶらぶらとネットを見ていたら、殊能将之の「鏡の中の日曜日」の一章を以下のように評しているサイトを見つけた。
カットアップ的な手法を驅使して、夢のなかを乱舞する光のイメージのような情景が繰り返し繰り返し現れるのですが、このあたり、何となくヌーヴォー・ロマンを思わせます。それもロブ・グリエじゃなくて、南米の異端派、エリソンドの「ファラベウフ」のようなかんじ。
http://blog.taipeimonochrome.ddo.jp/wp/markyu/index.php?p=293
「鏡の中の日曜日」は殊能将之本人がジーン・ウルフ「ケルベロス第五の首」を元ネタにしたと告白していることを合わせて考えると、「ファラベウフ」は「ケルベロス第五の首」にも似ているということになるに違いない。こりゃ辛抱たまらん、ということで速攻で購入。
本書はメキシコの作家エリソンドがバタイユの「エロスの涙」に触発されて描き出した残酷な幻想小説である。とにかく錯綜した物語なので、筋を説明するのが難しい。
ここは横着をして、訳者解説からわかりやすく時系列に整理された粗筋を引用しておこう。
義和団事件に際し派遣された列強連合軍の従軍医として北京に滞在した、解剖学教授ファラベウフ。中国へのキリスト教布教という秘密の任務を帯びた宣教師でもあるらしい彼は、北京でたまたま執行された《凌遅処死》という残酷な処刑を目撃し、これを写真に納めた。彼には当時、彼と同じフランス人の愛人がいた。
……それから何年か後のパリ。年老いたファラベウフは、昔の愛人の呼び出しに応じ、廃墟の中で《凌遅処死》にも似た〈処刑−手術〉を施すのであった……
テーマは肉体と時間であり、冒頭ではシオランの崩壊概論が引用されている。
〈何を〉しているかはだいたいわかるが、〈誰が〉やっているのかが明確に書かれていない。しかも時系列がめちゃくちゃにシャッフルされているので頭の中で組み合わせるのが大変だ。
しかし本筋に関わる部分(手術や処刑のシーン)は、細かく丁寧に描写される親切設計なので、引き込まれることは間違いない。また易経、ウィジャ、心霊術、支那趣味、解剖学用語などがグロテスクな彩りを添えている。
この物語は「覚えているか……」で始まり、それが反復されながら、やはり「覚えているか……」で終わる。このように循環する時間を体験させられるうちに、読む側は車輪を走り回るネズミにさせられたような不安に陥るだろう。しかもこのフレーズは執拗に繰り返されるため、その効果は抜群だ。ファラベウフの手術−処刑は永遠に続くのである。
手元にないので検証できないのだが、主体の不在という意味で「ケルベロス第五の首」と共通点がありそうだ。なんにせよ「鏡の中の日曜日」という現代の小説をまたいで、変わった過去の小説同士が比較できるというのは実に面白い。
ファラベウフ―あるいはある瞬間の記録posted with amazlet on 05.11.13
これらと比較してみると面白い。
出会いを与えてくれたブログが、「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂」とのことなので、Tangerine Dreamを聞きながら読んだところ、リアルに気分悪くなりました。(笑)
注意
グロが苦手な人はファラベウフとか凌遅処死とか、調べちゃダメ絶対。