ピエール・メナール問題の続き

飛鳥部勝則「誰のための綾織」は盗作騒ぎの結果、ついに回収にまで及んでしまったようだ。
一時期Amazonでの急に上位にランクインしたのは面白かったが、現在は取り扱っていない。

今回の発端は各種ブログや検証サイトによるネット上の言説だった。
http://www.geocities.jp/flutter_of_earthbound_bird/

それらに関して、弁護士の山口貴士氏が検証サイトを評して以下のように述べている。

このサイトの作者が何をしたいのかよく分かりませんが、自らの行為が表現行為を萎縮させ、表現文化の圧殺の一端を担っているということはよく自覚して頂きたいと思いますし、サイトの作者には、「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉を捧げておきます。

【平成の表現狩り】検証サイト問題: 弁護士山口貴士大いに語る

法律畑の意見とあって何とも心強い。何をしたいのかよくわからないとはまさしくその通りで、激しく同意である。また作家自身は非力な一個人なのだから、もっと出版社が守ってほしかった。

検証すること自体、つまり元ネタ探しというのは、いわゆる文学研究でも行われていることなので、決して悪いことではない。しかしそれがこのような処分に繋がってしまうのは、まるで筋違いというものだ。
検証サイトを作るならば「これらの事実を白日の下にさらし続けるために、出版社は決して絶版・回収などしないでいただきたい」と注意書きをしておくくらいのウィットがほしい。何度も書いたように、実際その方が盗作されたほうにも宣伝になり、メリットがあるのだから。

確かに作者には倫理的に悖るところがあったかもしれない、しかし文化にとって重要なのは作者よりも作品である。盗作であろうがなんであろうが、よいものは評価され悪いものは淘汰される。盗作行為が作品の質を落とすというのが事実だと思っているなら、それこそ自然の淘汰圧に任せておけばよい。なにも根っこからぶった切る必要はないはずだ。