デイヴィッド・J・チャーマーズ「意識する心」

ようやく読了。予想以上にハードで時間がかかってしまった。
正直、ちょろっと心脳問題を勉強したいんだけど、という気軽な感じで読める本ではまるでない。特に第二章はほとんど分析哲学なので用語の定義をしっかり追っていかないと、すぐにわからなくなるので要注意だ。
とにかく序盤のハードルはかなり高くて叢書ウニベルシタスかよ!とツッコミを入れながら何とか読破。ちゃんと点検しながら読めたとはお世辞にも言えない。わかっている専門家向けの本という感じである。

まず意識の問題というのは何もわかっていない。なのでこの手の本は、こういうことがわかった!というよりも、こういう問題設定をしていけば心脳問題が解けるかもしれない、という投げかけの方向になる。本書もチャーマーズの卓抜した考察と仮説、そして他の論議の分析と批評が大いに語られる。
とはいえ意識の問題は、その語り方からして難しい。なぜなら意識があるというのは本人にしかわからないからだ。意識はあるように見えるけど実は意識体験のない存在を本書ではゾンビと読んでいる。当然、自分自身はゾンビでないとわかっているだろうが、それを他人に説明するのは困難を超えて不可能だろう。心脳問題にはそういう難しさがあるわけである。チャーマーズは論理的なレベルから底辺の敷石を埋めてゆくのだが、その論法はちょっとテクニカルすぎる感も否めない。
たとえば「ぼやけたクオリア」の論議などは論理的に反駁しろと言われると難しいのだが、対角線論法による証明に似て、狐につままれたような印象を受けた。同時に対角線論法のようなハッとさせられる鮮やかさも持ち合わせているのだが、素人が読み流した程度では点検できそうな気がしない。
他にも「サーモスタットに意識があるか?」という論議も非常に興味深いが、その論議が妥当なのか妥当じゃないのか、ということがわからない。

何にせよ、もう少ししっかりと読み込まないと駄目という感じだ。
とりあえず、著者近影を見る限り、自分の部屋でイングヴェイのギターソロを完コピしてそうなあんちゃんが、とんでもなく頭がいいということはわかったよ。
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