ゴンブローヴィッチ「フェルディドゥルケ」
のばし棒があったりなかったりするゴンブロヴィッチ。
ゴンブロヴィッチ「コスモス」 - モナドの方へがあまりにも衝撃的だったので、他の著作にも手を出すことに。
まず最初に「フェルディドゥルケ」というタイトルには何の意味もない。ゴンブロヴィッチの造語である。これについては解説に色々な説が載っているので、そちらを参照されたい。
次に内容だが、長いというのもあるのだが、説明するのが非常に難しい。主人公が子供になって学校にいれさせられてドタバタに巻き込まれるというような感じなのだが、雰囲気としてはユリシーズを舞城王太郎が書いたような感じといえばよいだろうか。違うという人もいるかもしれないけれども……
とってもカーニヴァル的な作品で、読んでいるときは色々なことを考えさせられるのだが、読了後に振り返るというのは、祭りのバカ騒ぎを思い出すようなむなしさというか困難さがある。実際に読んでゴンブロヴィッチ感を味わうほかないわけである。
ひとつ奇書っぽいところを引用しておこう。
とある詩集を主人公がぼやきながら翻訳をこころみたところ。
詩
水平線はガラスびんのように砕け
緑のしみは雲をついてふくらむ
ふたたび身をよせる松のこかげ
そこから――
のみほす一息に最後のしずくまで
ぼくはぼくの日々の春を
おれの翻訳
ふくらはぎ、ふくらはぎ、ふくらはぎ
ふくらはぎ、ふくらはぎ、ふくらはぎ、ふくらはぎ
ふくらはぎ、ふくらはぎ、ふくらはぎ、ふくらはぎ、ふくらはぎ
ふくらはぎ――
ふくらはぎ、ふくらはぎ、ふくらはぎ
ふくらはぎ、ふくらはぎ、ふくらはぎ
ふくらはぎ多すぎ!
あと全体的にちょっと下ネタが多すぎ。でもラストは素敵なので、そこは我慢しよう。
レロレロも出てくるよ