ゴンブロヴィッチ「コスモス」

どの著作だったか忘れてしまったが、西垣通ゴンブロヴィッチの「コスモス」がサイコーというようなことを書いていた。いったい何をそんなに褒めていたのかは忘れてしまったのだが、いつか読もうと思っていた。

ゴンブロヴィッチポーランドの作家だ。昨年、生誕100周年ということで「フェルディドゥルケ」が復刊し、「トランス=アトランティック」が翻訳された。中でも完成度ナンバー1と言われているのが「コスモス」である。

というわけで読んでみましたよコスモス。
いやースゴイねこれは! 西垣センセーが推している理由がよくわかった。
何が凄いのか、それを説明するのは非常に難しい。ストーリーは一応あるが、本質ではない。あくまで主人公の思考を補足(捕捉)するためにのみ奉仕しているだけだ。ジョイスユリシーズに似ているが「意識の流れ」というよりは「認知の流れ」だ。言うなればこれはメタ認知ミステリなのだ。

ようするにこういう事だ。

あなたは自分の部屋を知っている。だが何があるのかをすべて記憶しているわけではない。なのに知っていると思いこんでいる。では自分の部屋を知っているとはどういうことなのだろうか?

もうひとつ。
部屋にコーヒーが入っているマグカップがあるとして、それがマグカップであるとわかるのはなぜか? コーヒーが入っているからだろうか? いや、マグカップでないものにコーヒーを入れるはずがない、順序が逆だ。要するにあなたはマグカップのなんたるかを知らないのだ。
我々はそのものの示す意味を実は知らない。認知の過程は極めて混沌としている。
つまり我々はそのへんに転がっているものであっても、それが本当に何であるかはまるでわかっちゃいないのだ。
さて、それをふまえた上で認知するとはいったい何なのだろうか?
コスモスはそういう話である。(やっぱり説明が難しい)
ちょっと引用してみるとこんな感じだ。

禿鷹か、鷹か、鷲か? ちがう、スズメではない、だが、それがスズメではないということによって、それは非スズメとなる、そして非スズメであるがために、どことなくスズメとなる……

かくも日常はカオスだ。しかしコスモスを読了した後では、そのカオスの罠にはまってゆく主人公をただの異常者と黙殺することはできない。
コスモスはカオスなのだから。

こんな人にお勧め