種村季弘「断片からの世界」
銀座で行われた「〈種村季弘 断面からの世界〉展」に行けなかったので、本書を読んでストレス発散。
鬼籍に入ってしまわれた後にまとめられたもので、基本的に単行本未収録の美術原稿を納めている。おおざっぱに章ごとの分類を解説すると、
- マニエリスム
- 海外の幻想美術
- 漫遊記
- 日本の現代美術
という感じ。紹介する画家もクレリチ、伊藤若冲、ゾンネンシュターン、ホルスト・ヤンセン、コーラップ、赤瀬川原平、佐伯俊男、丸尾末広などなど奇想画家が目白押し。種村季弘ファンならずとも楽しめること請け合いだ。
個人的に気になったところを幾つか切り出してみる。ホルスト・ヤンセンが北斎の模写したことに関して、エーゴン・フリーデルを引用している。
人類の前精神史は泥棒の歴史である。アレクサンダー大王はフィリップを盗み、アウグスティヌスはパウロを盗み、ジョットはチマブーエを盗み、シラーはシェイクスピアを盗み、ショーペンハウアーはカントを盗んだ。停滞が訪れるとすれば、その原因は、盗み方が足りなかったからだ。中世には教父たちとアリストテレスしか盗まなかった。これではすくなすぎたのである。ルネサンスでは文献として残存しているはずのものがそっくり盗まれた。だから当時のヨーロッパの人間全体をとらえた、あの途方もない精神の刺戟が生まれたのだ
そして自我神話のつくり出した虚構の産物にほかならないと切り捨てる。ジェラール・ド ネルヴァル「火の娘たち」 - モナドの方への引用と比べると面白い。剽窃万歳。
もう一カ所ばかり。エルンスト・フックスの感性を推し量るため、彼の証言を引用してる。フックスがボッシュの「悦楽の泉」について一言、
あの泉は石のようで、しかも同時に植物のようでもある。あれは食べられますよ。
あれは食べられますよ、あれは食べられますよ、あれは食べられますよ……
ダリと通じる可食性に注目するところが種村季弘の鋭いところだ。かと思えば、十代のころの酒びたりっぷりを豪快に語ってみせる。
聖と俗を軽々と横断してみせる筆致と行動力。見習いたいものである。
ただ残念なのは美術稿集なのに図案がほとんどないことだ。結構期待してたのに……
日本の美術作品に関しては、表題の下に1枚ずつ印刷されているが、写メールくらいの大きさで、ちょっと寂しい。おそらく版権の関係とかで載せられないというのは想像に難くないのだが、「魔術的リアリズム」「迷宮の魔術師たち」ではたっぷり図案があっただけに、残念なことこの上ない。「挿絵もせりふもない本なんて、どこがいいんだろう」(アリス)ですよ。
まあ表紙がクレリチだから許すとしましょうか。