いや、まだあるよ!(ジョルジュ・ペレック)
表現形式としての技法(レーモン・クノー「文体練習」) - モナドの方への続き。
文学実験工房ウリポのリーダー的存在がレーモン・クノーならば、目映い閃光を放つスターがジョルジュ・ペレックだ。ウリポの実験的手法をクノー以上に徹底的にやってのけた。
ペレックの代表作は、邦訳のない「消失」。フランス語でもっとも頻出度が高いeを一切使用しない長編小説*1である。当然邦訳不能。
しかもその次にe以外の母音を禁止した(a,i,o,u使用禁止)中編を発表し、度肝を抜いた。
余談ではあるが、eを使用しない長編小説はペレック以前にも試みられている。1939年に発表されたErnest Vincent WrightのGadsbyだ。以下のサイトで全文読むことができる。
→Gadsby
もうひとつ。以前も紹介したが、この最たるヴァージョンが、二度と同じ単語が登場しないDoug NuferのNever Again。
→http://www.ubu.com/contemp/nufer/nufer.html
ウリポが目指したのは数学的組合せ、パズル的要素、ある種の法則をふんだんに盛り込んだ文学であった。なぜこんな変な小説を書かねばならなかったのだろうか?
小説というジャンルは19世紀でほぼ完全にできあがった。そして20世紀初頭にジョイスやプルーストが破壊的革命を行った。すべては書き尽くされた、これ以上何かを記すことは蛇足以外の何ものでもない……
いや、まだあるよ!
ペレックの小説からはそんな叫びが聞こえてくるかのようだ。もちろん大戦等の時代的背景やら他にも要因は多数あろうが、ペレックの小説には恐ろしく尊大でみずみずしいチャレンジ精神を感じる。ウリポ的手法の強烈な束縛条件が新たな創造へのブレイクスルーを生みだす、ということを証明してみせているのだから。
小説のネタはすべて出尽くした、という悲観的な提言を時たま耳にする。文学は停滞してるとか、文学は死んだとか、エトセトラ……エトセトラ……20世紀末以降、類することが叫ばれ続けている。諦めるのは勝手だけれども、とりあえず叫んでみたい。
いや、まだあるよ!
ペレックの精髄が詰まった本。この本についてはまた後々語りたい。
ペレックのエッセイはつまらない日常に新しい着眼点を与える。デザイン系の人とか、読むといいんじゃないだろうか。
考える・分類する―日常生活の社会学posted with amazlet at 05.07.12
ペレックの掌編ながらも傑作の「冬の旅」が読める。また日本語で読めるウリポの貴重な資料。
風の薔薇―文学/芸術/言語 (5)posted with amazlet at 05.07.12
リンク
ペレキアンになろう。
→ジョルジュ・ペレック研究 | 日本語でペレックを研究する(楽しむ)ために